カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

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遠山茂樹『昭和史』(岩波新書)、目的が次の瞬間に忘却される

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遠山茂樹『昭和史』(岩波新書、1959年)を再読して、あちらこちらに疑問点が湧く。たとえば

〔1926年と1930年を比較すると〕日本が中国貿易に依存する度合いが増した反面、中国貿易の中での日本の位置は後退していた。〔略〕日本の対満投資の六三パーセントを代表する満鉄の鉄道収入は、三〇年代には大恐慌の影響も加わって前年度の三分の一を下廻り、一九〇六(明治三十九)年の創業以来のふ成績を示した。〔略〕『朝日』『毎日』などの大新聞も満蒙の権益擁護を強硬に主張しはじめた。
武力行使によって満蒙問題を解決しようとする軍部の動きは活溌さをくわえた。(71p)

この、前段と後段のつながりがわからない。なぜ経済の不振に武力行使が出てくるのかが判らない。武力行使によって何がどう解決されるのかが分からない。
さらに昭和史のこの後の展開を見ると、経済問題を打開するための戦争のはずが、経済問題を度外視しての戦争となり、戦争が止まらなくなる。経済問題を解決するために軍部独裁が行なわれるが、軍部は軍部の勢力拡大自体を目的とし、経済問題は度外視されていく。

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昭和史では「何が目的であるか」は次の瞬間にすぐ見失われる。政治と軍部の対立・統制派と皇道派の対立・陸軍と海軍の対立とは「自身の立身出世」「自身の勢力拡大」という矮小な動機のみが継続し、「何のために」「何を目的として」は建前の中に消えていく。さまざまな事柄がグダグダになっていく。これが昭和史の流れだ。だから昭和史は判りにくい。
日本では、「何が目的か」は特に為政者・支配階層によってまじめに考慮されたことはまことに少ない。ひょっとしたら、一度もないかもしれない。建前での「目的」はまあ、そりゃ腐るほどあるよ。「国体護持」とか。でもそんなのはあくまで「建前」だ。
日本人は「現状」を巧くやりぬくことに関しては物凄く熱心だ。芸術的に執念を燃やす。しかし「何のために」「その目的にはこれが合致しているのか?」という問いは基本的に放棄する。
そもそも「日本」という国家・体制は何のために存在するのか? について、我々は合意を実際には形成していない。昭和史は、その時その時の短期的な「目的」に対し「手段」がとられ、そして手段が「規定路線」化し社会をそれに「最適化」しようとし、最適化するために新たに建前としての「目的」(たとえば「大東亜共栄圏」という泥縄な建前)を掲げる、という阿呆な連鎖が繰り返された。目的が次の瞬間に忘れられる、ということについて焦点を絞った昭和史は書かれる価値があると思う。
どこの国にも「本音」と「建前」はあるが、その乖離が少ないほうが強い国家・強い体制であり、その乖離が大きいほど貧弱な国家体制である。レーニンは『帝国主義論』で第一次世界大戦を、経済的土台から分析した。「資本主義国は、独占資本主義の段階にはいると、商品販売市場と原料供給地のみならず、資本の投下地域をも求めて、植民地ないしは勢力圏の拡大をますますはげしくきそうようになる。そして二十世紀のはじめには、世界の分割をほぼ終えた帝国主義諸国が、さらにその再分割を求めて争い、その対立の爆発がこの第一次世界大戦になったのだと論じた。(5p)」レーニンは戦争からおためごかしを排し、本音レベルで分析した。しかしながらその建国したソ連は資本主義国以上におためごかしに満ち、後、崩壊した。連想すると、イギリスは偽善の国だが、偽善と本音の距離をできるだけ縮めようとする、もしくは偽善と本音が両立させるようにしたがる。
革命のあった国では革命が建国神話となる。日本の場合、明治維新が一応それにあたる。「江戸幕府」は「徳川家」を存続させることを目的とした「体制」だった。明治政府は、「江戸幕府から権力を奪取したことを正当化するための」体制だった。「外国から植民地化されない」という半面の現実・半面の口実が背景にあった。明治政府を正当化するために「天皇制を守る」という口実「建前」が使われた。この「建前」はあくまで「建前」でしかなかったから、日本においては、「何のために国があるのか」という問いがタブー化され、それについて思考することを我々は回避し、そのため「目的」は常に見失われる。
それゆえ、あらゆる事柄が、とくに「巧くいっていない時期」にグダグダになるのだと思われる。現在もそうだ。「何のため」「どういう獲得目標で」という水準で物事を考えるのを基本的に拒絶しているか、いたずらに抽象世界に遊ぶかどちらかになりがちなのは、これは日本の業病だ。あるいはひょっとしたら日本の場合、新聞社・記者クラブの持つ業病が民衆に伝染しているのかもしれないけど。
以上、ゴツゴツとした不恰好なメモ。

3

戦後復興の基礎は戦中に作られたから、経済打開という目的は民衆の多大な犠牲の上に一貫して一応見失っていなかったと言えるのかな。よって上記メモは先走りだと思い直した。

昭和史 新版 (岩波新書)

昭和史 新版 (岩波新書)

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