カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

1993年の覚書、児童虐待とか創作論とか

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20111217の続き。需要はないけどここに置いておく。
 覚え書きー3
(九三年のノートから)

1

   『らくごDE枝雀』より

 (四八p) 落語、漫才において、人間は何を「おもしろい」と感じるか。知的には「変」。情的には「他人のちょっとした困り」。生理的には「緊張の緩和」。社会的・道徳的には「他人の忌み嫌うこと」ないし「エロがかったこと」。…「緊張の緩和」は、笑いの根本である。「変」とは普通でないこと、「緊張」である。普通の状態に回復するのが「緩和」である。普通の状態に戻れなければ、不安なままである。「困り」とは緊張である。「これ、そんなこと言うたらあかんがな」というツッコミにより、常態に回復する。緊張が緩和する。「ノセル」「ノル」のは緊張である。

 (九二p) ものごとを分類しようかちゅう時に、いちばん先にしとかなならんことは視点を定めることですわ。どの立場から対象物のどの面を見て判断するかということを決めとかんと、あっちこっちから視点定めんというだけでは統一性がおまへんがな。で、視点はお客さんです。お客さんが何をどういう形で受け止めてくれはって快感を得てくれはるか。逆の立場で言うと、演者なり作者なりがどの趣向でお客さんに快感を与えるかという、聞き手対演者という関係で判断する。

 (九四p) 「オチ」は、四つに分類される。「ドンデン」「謎解き」「変」「合わせ」である。

 *ドンデン;サゲの前に安堵がある。

(例)主人公、谷に落ちた小判を拾う。いざ谷から上がろうとするがどう上がればいいか分からない。竹のバネを利用したりして、やっとの思いで谷から戻る。(ここで聞き手はああよかった、と安堵する)=ドン。で、小判は? しまった谷底に忘れてきた。(それまで隠されてきた状況が明らかになる)=デン。ドンで安堵、デンでサゲ(ひっくり返し)。

 …鎌やんは思う。おそらく、ギャグの本質は「優先順位の錯誤」だと考える。「ドン」は二次的な優先事項が解決され、「デン」で一時的優先事項が未解決であることが判明する。「ドン」に至まで、一時的優先事項は二次的優先事項により忘却される。その忘却が「緊張」の低音を奏でる。「ドン」により二次的優先事項が解決し、「偽りの解決(緩和)」が発生する。それにより、一時的優先事項に気づける余裕が生れ、問題が解決していなかった、という「緊張」が発生する(一時的優先事項の提示)。「錯誤」が明らかになることにより、「笑い(緊張)」が発生する。

 *謎解き;不思議な状況の提示。その解答がサゲとなる。

(例)皿屋敷のお菊さん。いつも九枚しか数えないのに、ある夜十八枚数えた。「どうして?」「二日ぶん数えといて、明日の晩休みまんねん」…読者に「え?」と思わせるシチュエーション、または台詞を置いておく。その解答がサゲとなる。

 …謎により、「緊張」が発生する。謎は、興味を引かせるための道具である。同時に、「怪談」という一時的優先事項が、「偽りの解決」によって忘却(無視)される。ここに「笑い」が発生する。 *変;ありそうな話が続く。結末に奇怪なこと、異常なことが発生し、常識の範囲を越える。結果噺全体が嘘になる。(話し手はなぜそれが異常な行動なのかは説明しない)

(例1)猪を目の前で仕留めたのに、疑い深い男が、「これ、新しいか?」と尋ねる。漁師は腹を立て、鉄砲の台尻で猪をど突くと、猪、ピョコリと起きて、トコトコトコ。「どうじゃ客人、あのとおり新しい」…「優先順位の錯誤」が状況で明らかになっている。二次的優先事項としての「新鮮さ」は、「(獲物が)生きている」ことによって証明されたが、「生きている」のでは、一時的優先事項としての「獲物」ではない。登場人物はそれを忘却している。それ(一時的優先事項)が聞き手には明らかであるため、「笑い」が発生する。

(例2)真夏の炎天下、大阪中にたった十個残ったミカンを千両で買取り、若旦那に食べさせたと言うところまでを人情噺風に語る。ミカン一個百両、という価値観の錯覚が生まれる。番頭は三百両持ったつもりになって逐電する。「ミカン三個持ってドロンしよった」

 *合わせ;台詞や状況を、人為的に「合わせる」(対応させる)

(例1)『天狗裁き』嫁に寝ているところを起こされ、「どんな夢を見たん?」という発端から、次々にいろんな人に尋ねられ、しまいには天狗から夢の話をせえと脅迫される。と、うなされている主人を嫁が揺り起こし、「どんな夢を見たん?」…発端の台詞、状況との対応。噺の中心となるエピソードとの対応。…夢の内容、という謎が噺の緊張を高める。謎により状況が限りなくエスカレートし、考え得る限りの限界(緊張の限界)で冒頭に帰る(緩和=偽りの解決)。冒頭に帰ったと気づくことにより、再び緊張が発生する(真の問題である、一時的優先事項の提示)。この噺では、一時的優先事項は噺の底に沈んでいる。噺の仕掛けそのものがある意味で一時的優先事項となっている(噺が閉じている)。

(例2)『死ぬなら今』とどのつまり、地獄の役人連中がひとりもおらんようになっていて、「死ぬなら今」…二次的優先事項を延々語ることにより、一時的優先事項を聞き手に忘れさせるよう強く説得する。二次的優先事項の結論を最初と最後に持ってくる。

 

   『らくごDE枝雀』を読みながら

 「ドンデン」「謎解き」「変」「合わせ」を、「安堵(合理)」と「不安(非合理)」のベクトルから考える。「安堵」は「合わせ領域」(合理的領域)にある。「不安」は「ウソ領域」(非合理的領域)にある。「ホンマ領域」は、合理的領域と非合理的領域の中間領域である(現実は合理と非合理が混在する)。全ての噺は、「ホンマ領域」に始まる。合理的結末か、非合理的結末に向かって、噺は進行する。その途中、「カタルシス(緊張の限界)」で合理か非合理かどちらかに大きく針が振れる。

 「合わせ」は、合理的結末を人為的に示す。あまりピッタリやり過ぎると「こしらえた」ことにより、ウソの感じが強くなる。…「合わせ」の合理性はあくまで表面的なものである。二次的優先事項の論理が整合することにより、沈黙している一時的優先事項が非合理の側から「笑わせる」のが「合わせ」の笑いである。

 「ドンデン」では、一時的優先事項と二次的優先事項が明示されている。一時的優先事項(緊張)のために二次的優先事項(緊張)を解決しようとするが、二次的優先事項が目的化する(一時的優先事項の忘却)。二次的優先事項の合理的解決解決によってカタルシスで「偽りの解決(安堵)」が得られ、一時的優先事項が未解決であることを発見する(笑いの発生)。

 「謎解き」では、謎(緊張)によって、噺は非合理への興味を持って聞かれる。カタルシスで非合理的緊張(不安)が限界になる。結末によって謎(非合理)は合理的解決(安堵=偽りの解決)を見る。笑いは、その合理性が二次的な合理性であることが明らかであるため発生する(登場人物は合理的解決を見たと思っている)。二次的優先事項は明示されているが、一時的優先事項は沈黙している。 「変」では、結末に非合理的領域(不安)へ突入する。合理的説明の欠如。聞き手の目に優先事項の錯誤が明白であり、登場人物はそのことを明言しない(非合理的状況にいる)。一次二次の優先事項は明示されているが、その関連は聞き手には明瞭であり、登場人物には不明瞭である。

 

   『らくごDE枝雀』より

 (二〇五p)知的なものには記憶があるが、情的なものには記憶がない。知的なものとは、筋立て、状況。「あ、このあいだ聞いた」 情的なものとは、たとえば赤ちゃんの笑顔は何度見ても「可愛い」と思う。人間が普遍的に持っている気持ち、そこにポイントを置くから古典落語は繰り返しがきいている。

 (二七六p)上岡龍太郎「大阪人はインテリジェンスをひけらかすのを由としない。ぼくはつねづね邪道こそ大事にせなあかんと思っています。邪道が広めてくれて客を集めてくれると思うんですよ」

 民謡は本来、とても放送に耐えないほど猥雑だった。民謡は辛い作業に耐えるために謡われていた。エロスにはエネルギーがある。今全国で知られている民謡は放送に耐えるよう翻訳されている。

らくごDE枝雀 (ちくま文庫)

らくごDE枝雀 (ちくま文庫)

2

   『強姦する父』より

 「父は私のことを、こう考えていたみたいです。こいつは自分のものだ。自分のしたいようにできるんだって」

 「私は自分にこう尋ねました。もしかしたらあの頃私は父を刺激したのかもしれない。でも十一歳で、どうやって?」

 ドーリスは十六歳のとき父に強姦された。父はドーリスに小便をかけ、「お前ら女はみんな同じだ、お前だってその仲間だ」となじった。彼女は裸のまま家から逃げ出し、姉の友人のアンゲーリカのところへ身を寄せた。「うちにいたときは、自分に起こったようなことはどこにでもある、ただこれほどひどくないだけだって考えていました」

 性的虐待によって精神の傷つけられた少女たちは異常な態度というかたちで周囲に信号を送る。しかしそれは大人にはほとんど気づかれることはない。ある少女は毎日風呂に入りまるで何かから逃げ出したがっているかのように何度も繰り返し体をごしごし洗った。

 多くの少女が性的暴力に耐えるのは弟妹のためである。児童福祉局のある職員によると、十三歳の少女が父を性的虐待で告発したのは、父が幼い妹まで襲ったことを知ったからだった。この少女は、母の急死を悲しむ妹を守るため家にとどまっていたのである。

強姦する父―娘への性的虐待

強姦する父―娘への性的虐待

3

   『悪夢の種子』より

 「ぼく( スティーブン・キング)には正気を保つために創作が必要なんだ。作家だから、自分の恐怖や不安や夜の脅威を紙の上に吐き出して形にすることができる。いわば精神療法なんだ。

 「悪そのものにはなんの力もない。人間がそこに力を与えるのさ」

 「動機の概念、それが物語だ。ある出来事が起きると、ドミノ倒しみたいにそれが別の出来事を誘発して、次から次へと何かが起きる。動機が続いている限り出来事がお互いに関連しあって、物語が本当らしくなるんだ」

 キングのお気に入りのシチュエーション

日常の周りに危険が迫っているような気がする。日光の降り注ぐキッチンに入る。何ごともないとホッとすると、テーブルの下から生首が出てくる。

悪夢の種子―スティーヴン・キング インタビュー

悪夢の種子―スティーヴン・キング インタビュー

4

   『連続殺人の(上)』C・ウィルソン

 (八二p) 性的なサディストの心に最も訴えるのがそれである。女性が縛られているか、口に猿轡をかまされて行動の自由を奪われ、ナイフか銃口をつきつけられて恐怖の表情を浮かべているのを見るのが刺激になるのだ。それが彼らの幻想に他ならず、相手を支配し管理し、苦痛や苦しみを相手に加えている情景が雑誌の表紙に描かれているのを見ると、幻想に火がつくこともあるというわけだが、それを見ただけでは殺人の原因とはならない。連続殺人者たちはもともとこのような欲求を抱き、心の中にこのような暴力傾向を秘めているからこそこういうタイプのポルノに惹かれるのだ。

 性的サディストが捜し求めるのは、被害者にたいする支配、コントロールであり、まさにそれを彼はこの種の雑誌の表紙に見ているのだ。バンディーは、自分が抱いていた「病める妄執」をポルノのせいにしたが、そのような発言は、連続殺人者特有のものである。彼は常に自分以外の誰かか何かを責めて、それが原因で自分は犯罪を犯したのであって、自分が悪いのではない、自分に落ち度はない、と言い張るのだ。

 (一二五p)一九六四年一二月二六日(クリスマスの贈物の日)「荒地殺人者」イーアン・ブレイディーとマイアラ・ヒンドリーの二人は、十歳のレズリー・アン・ダウニーを裸にし、ポルノ映画向きのポーズをとらせてから殺害した。その際、レズリーの泣き声をテープに収めた。その録音は、クリスマス聖歌の合唱を背景音楽としている。二年後、裁判で陪審員たちはその再生を聴く。二人は、レズリーを痛めつけたことはないと否定したが、裁判長は総括で述べる。「この録音の初めの部分が幼い被害者の物凄い悲鳴であることを忘れられる人はおりますまい。この悲鳴の前に何が行なわれたのか、マイアラ・ヒンドリーが幼児に向かって『それを入れなさい』というようなことを喋ったことしか分かっていないのです」

 (一二七p)アルバート・フィッシュ(ニューヨーク在住、画家、装飾デザイナー);十歳の少女を誘拐、殺害してから六年後にその少女の母親宛に匿名の手紙を出し、犯行を認め、「オーヴンで焼いたあの肉はどんなに美味しかったことか」と記す。手紙を収めていた封筒に付いていた模様からフィッシュの住所が割れ、ニューヨーク市の熱心な行方不明捜査員が出向き、逮捕。(彼は退役を二年先に延ばしてまでフィッシュをつきとめることに執念を燃やす) 一九三四年、六四歳で逮捕される。二五年間で四百人の児童を殺害したと自供。虚言癖を差し引いても数十人は殺害したことを確認。三四年、電気椅子に座る。

連続殺人の心理〈上〉 (河出文庫)

連続殺人の心理〈上〉 (河出文庫)

5

 児玉有平くん(十三歳)、巻かれたマットに頭を逆さにして、胸を圧迫して死亡。他の生徒、多数いる中での死。数人に取り囲まれ、有平は芸をさせられていた。峯徳明校長は当初、いじめを否定。有平は漫画好きでナディアやセーラームーンのポスターを部屋に多数貼っていた。明るく、人前で瞬間芸を披露する、頭の良い、優しい子だった。そういう言い方はされないが、生徒たちの証言ではからかわれてはいた。五日後、七人が障害、監禁致死の疑いで補導された。五時四十五分、芸を強要。有平、それを拒否。マット室に閉じ込められる。七人は別にグループではなかった。「いじめ」は以前からあった。「いじめ」の構造は全日本的である。学校内だけで処理しきれる問題ではない。七人全員、犯行とのかかわりを否認。警察の尋問の仕方が問題にされる。「『その顔は犯人の顔だよ。お前の目は嘘の目だよ』と決めつけられた」「二、三人がかりで机蹴ったりとか…。ずっと…。なんか…怖かった」「『囲んで中にいただろう。皆見てるんだぞ。お前一人だけ頑張っても無駄だ』って脅された」八時間から十時間くらい尋問は続いた。暴力と威圧による圧迫。これは、社会的ないじめの状況である。学校では、校長、教頭、担任が他の学校へ転任となった。問題をかき回して稀薄化する。公害の発生と同じ構造である。校内では、「犯人」のことはタブーになっているようだった。一番話したいことは、話してはいけないことになっている。これもまた「日本的」である。

6

   『共産主義とは何か』メドヴェーデフ 三一書房より

 (九p)傷がひとりでに癒えると考えるのはおめでたいことである。われわれはそれを癒さなければならず、そうするには、社会組織体のどこかに病菌が巣くっている病気の原因と性質を知らなければならない。このような根深い、無数の、なおざりにされてきた病害を癒すときには、痛みは避けられない。

共産主義とは何か 上

共産主義とは何か 上

7

   『狼煙を見よ』より

 *東アジア反日武装戦線「狼」(三菱ビル爆破事件実行者グループ。機械的誤作動により犯行時刻が狂い、一般市民に多大な被害を与えた。事件実行者は自殺用青酸カリを所持していたが、自決に成功したものはいなかった)に対する朝日新聞の社説;

「このグループの最も顕著な特徴は、生命感覚の喪失集団、ということであろう。爆弾をビルに仕掛けて行きずりの人までを殺す。彼らは他人の生命を尊重しない。と同時にまた、彼ら自身の生命をも大切にはしない。おそらく、人間と機械との区別さえはっきりしてはいなかった。自然離れの時代の子である。緑の森に悠久の時の流れを思い、枯れてはまた実を結ぶ花々に生々流転の生命の相を感じとることもなかったのに違いない。彼らにとって人間とはスイッチを入れれば動く、切れば止まるといった電気器具の一つとしか感じられなかったのではあるまいか。

 だが人間はなにかの仕事なしには生きていけない。彼らもまたなにかをなさなければならなかった。爆弾テロは虚無の袋小路の中で見つけ出した、自己証明の手段だったとも考えられる」

 …鎌やんは「狼」の心情にわりあい同情的だが、この文章をノートに記した意図は、後の事件の際書かれる紋切型の文章にあまりに似ていて、生理的不快感・嘔吐感を覚えたからだったと記憶している。今読み返すと、別な感触がある。当時の学生運動の限界が、E・フロムの憂慮したネクロファイルな衝動、オーウェルの憂慮した党派主義を克服できなかったところにあり、そしてそれは現在に至るも、どのような立場であろうと(現在は「立場」という概念すら「怠惰と欺瞞によって」稀薄になりつつある)日本人の克服できていない問題だと考えられる。(九八年)

8

   宮崎勤事件に関し

 (北海道新聞 八九、八、二四)「マスコミに注文したいことは、暴力・殺人ドラマなどは一掃し、真の愛に包まれた暖かみのあるものにしてほしいということである。例えば政治家と国民の討論会やあらゆる病気に対する正しい理解と治療法などを放送し、人間が生きてゆく上で手助けとなる番組を制作してほしい。明るく健康的な社会を築くため関係者の努力をお願いしたい」

 (朝日新聞 八九、八、一八)「アニメはシンプルでピュアだ。現実より明解で純な世界だ。それだけに、そうした虚構の現実を幼児期から毎日摂取すれば、当然、心はその魅力的な世界で生活を始める。向こう側で暮らすようになると、きれいごとではないこちら側とのズレが起こる。そのギャップは、自分を囲む生の人間たちを不快と感じさせ、やがては自分を常に困難に陥れる「美しくない現実環境」を激しく憎むようになる。こうした心の中毒少年たちを、現実に引き戻すことは、極めて困難で成功例は少ない。良質のものであっても過度の入力は危険なのである。ゲームも含めた映像の麻薬から子供の感性を守のは親と教師。良い情報を数少なく与えることが大切である。自衛のための正しい情報管理を切望してやまない」

 …この二つも、激しい嘔吐感を覚えた文章として鎌やんはノートにとどめた。前者の意見は、鎌やんも「知的興味を刺激し満足させる番組」(俗に言う「教育番組」…具体的にはBBC制作『知への旅』、あるいは『NHKスペシャル』のようなもの)が増えてほしいと願うので、その範囲においては好意的に解釈すれば合意できる点もあるが、後者の提案する「情報管理」とは、ソ連や旧東欧のような統制国家にしようという意見だ。洗脳を提案し、それを正当化しようとしているのだ。とんでもないことだ。正気の発言として受け取ることはできない。(九八年)

9

 人間が最も警戒しなくてはならないのは、実体のない「常識」なり「良識」なりに振り回されることである。太宰治にこのような台詞があった。「そんなことは世間が許さない」「許さないのは世間ではなく、あなたが、でしょう」…「世間は」「普通は」という言葉を使う人間を警戒しなくてはならない。その言葉は、主体が存在しない無責任なものであるがゆえに、打ち崩すことの困難な、極めて傲慢な発言を、当人は「世間」という実体のないものに「気兼ねしながら」「謙虚に」語っているつもりになっているのだ。太宰にならって言い換えてみれば、その正体が見えるはずだ。「世間は」という主語で語るとき、彼らはいったい何に怯え、誰の顔色を窺おうとしているのか。そしてなぜああも高圧的になれるのか。日本は独裁者なしにファシズムに突入した奇怪な精神を持つ国である。その根は、ここに間違いなくある。

10

   週刊朝日八九、九、一 唐十郎『宮崎君への手紙』より

 ぼく(唐)としては、きみは当初、さまよえる乳母であったろうという喩えしか援用できません。そして乳母が、預かった赤子を、愛でるのみならず、時には溺らせることもあると思っています。ルイス・キャロルという作家も少女達の乳母であり、カメラマンでもありましたが、うさぎ穴に落ちた少女アリスをイメージの反転旅に赴かせながら、突然、インクの海に溺らせもします。このインクは、キャロルが書いているペン先から溢れるものであり、まさに愛でていた筈のものは、こうした枷を加え得るのです。が、アリスは終わりに姉の膝枕で目を覚まします。こうして読者もアリスと一緒にホッとしたりするのですが、溺らしたキャロルは、どう思ったでありましょう。では、きみの少女は、どこで目を覚ますのかと、きみと、きみを報道している現実とやらに話を戻しますと、その少女は「今田勇子」の膝枕で、まだ眠っているということになるのでしょうか。と聞いても、こんなことに答えがでるとは思いません。ただ、こうとなってもヴィデオ狂の独白青年とさまよえる乳母たちに、明日はないものかと願うばかりです。

 

11

 雑学…真田十勇士は、孫悟空をモデルとしている。真田幸村=三蔵、猿飛佐助=孫悟空、三好晴海=猪八戒霧隠才蔵沙悟浄

12

 雑学…『本朝幻想文学縁起』荒俣宏著より。

 古浄瑠璃『丑御前の御本地』;多田満仲源頼光の父である。多田の妻が牛角鬼面の女児を出産した。多田はこの子を殺そうとする。女官須崎はこの子を哀れに思い、山中で密かに育てた。女児は長じて丑御前となる。頼光は、父多田から丑御前殺しを命じられる。丑御前は須崎を伴い、関東へ脱出。独立国を構想する。途中、平将門(やはり関東に独立国を作ろうとした)を討った俵藤太秀郷の神社を覆し、荒野となす。頼光軍、敗退を重ねる。坂田金時は頼光に協力せず、丑御前を救う方策を思案する。単身丑御前のもとへ降伏勧告に行く。須崎と角力をとる。金時敗れる。頼光軍、金時との約束を破り、鬼の城へ攻め込み、乱戦となる。丑御前、隅田川へ飛び込み、身の丈十丈の牛鬼と化し、浅草を水浸しとして、京の軍を滅ぼす。丑御前を祀った社は、隅田川のほとりに実在する。

 *酒天童子の四天王…A説;茨城童子、熊童子、星熊童子、虎熊童子。B説;茨城童子、石熊童子、金熊童子、虎熊童子。
*龍馬;西洋のケルピーと同じく、水の精。八尺五寸の大きさ。
*犬は蛇の天敵とされる。猫は蛇をつかまえる。
*俵藤太(藤原秀郷);瀬田の唐橋の水蛇の精に頼まれ、三上山の百足を退治する。お礼にと蛇から俵をもらう。俵はいくら米を取っても尽きず、長者となる。
頼光四天王坂田金時渡辺綱、平貞道、平季武(碓井貞光、ト部季武)

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