カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「朝日新聞恐怖症」な人々

 朝日新聞はまあ、中曾根康弘別働隊だったり、アメリカ民主党代弁マシンだったりして碌でもないところではあるが、それはそれとして病的な朝日新聞嫌いな人々がいるなあ、と、2chとか見ていると思う。そういう方々が朝日新聞を嫌う理由は私が挙げた点とは全然違うみたいだけど。
 そういう「朝日新聞恐怖症」な方々って、以下の「想像の共同体」に参加している人たちなのかな。安倍晋三も「朝日新聞恐怖症」のようだけど。

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/thesis/2001/ueno.htm
6−4 「弱気な日本」を嘆く声−「史の会」の最大公約数
 〔略〕巻末資料のエスノグラフィーで挙げた「否定的につかわれる語」をまずは参照されたい。これらの言葉を皮肉ったり、もじったりするときに必ずといっていいほど笑いが起こる。「笑い」は史の会参加者たちの価値観をそのまま表すものだ。
 2001年9月24日、現代コリア研究所の佐藤氏の講演では、日本の政治家や日本人がいかに外圧に弱いか、謝罪外交について述べていたときの笑いが象徴的であった。
  * 宮沢さんが8回謝ったとき〜 (1992年宮沢喜一元首相が「従軍慰安婦」問題について韓国政府に公式謝罪したことを指して。)
  * 「親切」な日本人が韓国人女性の請求訴訟を支援
  * 韓国が(朴暗殺未遂事件後)「朝鮮総連を取り締まれ」と言ってきたとき、日本政府は「憲法で人権が保障されているのでできない」と答えた
 史の会の参加者たちを観察していて強く感じたのは、「価値観を共有している」ことを示すためにある特定のことばが繰り返し用いられているということだ。「朝日」「北朝鮮」「サヨク」という言葉は、非常に心地よいフレーズとなって参加者の耳に響いている。朝日新聞にもさまざまな記者がいるだろうし、記事も同じ論調で揃っていることはありえないが、史の会では「朝日」とひとくくりにしてしまうことにより、「アンチ朝日」としての共同体が創造される現象が起きている。「朝日」を批判すれば、隣に座っている年齢も社会的立場も異なる人とも、とりあえず話のキッカケがつかめる、そんな風に感じ取れた。
 史の会において、「異質な言葉」を話す人は存在しない。講師と参加者は、拠って立つ言葉(世界)がほぼ同じであることを前提としているため、緊張した議論というのはほとんど展開されることがない。
 逆に言えば「弱気な日本」を笑うことくらいしか、会員全員に共通しているコードはないのではないか。つくる会としてのまとまりは、まず幹部たちが破壊しているといってよい。良き観客は、つくる会自体のどこまでを自分たちのものとして吸収し、笑えばよいのかが判断できないのである。〔略〕