ヤクザ関係、古典。
一九六四年(昭和三十九年)以降の数次にわたる頂上作戦・ローラー作戦・ブルドーザー作戦の展開によって、組人口は、一〇年後の七三年末にはほぼ三分の二(約十二万人)に減退し、七五年末では約十一万人となった。〔略〕
「政治結社」へ退避
この危機を脱するために、組は、一九七〇年(昭和四十五年)――第二次安保の前後から明瞭に三つの方向に転換を開始した。
第一は、政治結社を名乗る右翼団体への転進である。
政治結社は、宗教法人と同様に、一定の綱領と規約、役員をそろえて、地方自治体に届け出れば、自動的に認可される。〔略〕
政治結社を名乗れば、テリトリーにこだわる必要はなく、大企業・政治家・個人などから公然と活動資金を集めることができる。〔略〕
一九七〇年以降に結成された「行動右翼」の約七〇%は、これら組関係で占められている。〔略〕
〔略〕本来の右翼ラディカルとはまるで無縁な組系「後発右翼」の資金パイプは、おいそれとは見つからない。資金パイプが見つからなくとも、資金を必要とする彼らは、事件稼業――総会屋分野へと進出せざるを得ない。政治結社――右翼団体は、そのための『名刺がわり』である。経済界に食い込む
そこで、第二は、組の事件屋――総会屋分野への進出ということになろう。
〔略〕総会屋は、系譜的に見て、一一系統に大別されるが、このうち組と直接的なつながりのあるものが八系統あり、残る三系統も、組と間接的な関係をもっている。〔略〕
カブキ者からの出発
〔江戸時代の〕農村では、博徒は、唯一の武装集団である。〔略〕彼らが幕末から明治初期にかけて多発した農民一気の先頭に立ったのは、その意味で必然であった。〔略〕
日本資本主義の急激な発展は、やくざの稼業の質をもぬりかえていく。
〔略〕鉄鋼、交通、石炭、電力などの基幹産業を中心とした建設ラッシュ、労働市場の膨張、工業都市・商店街・歓楽街の出現によって、炭鉱・建設現場への労働者の供給と飯場の経営、遊郭・料飲店・料亭・酒場の経営、地方興行(相撲・演芸)、港湾荷役業、土建業の下請けなど新たな市場に進出する。政財界との癒着は大正から昭和にかけて、公然化していった。
政党派閥次元の院外団的利用にはじまったそれは、反政府勢力、社会主義運動、部落解放運動、労働運動などへの暴力的前衛としての活用となる。さらに軍部は軍役夫、慰安婦調達、特務機関などにやくざを起用し、彼らはその論功行賞として、中国、朝鮮、満州、フィリピンなどで売春婦、港湾荷役、土建業、賭博場、興行などを経営するに至る。〔略〕癒着の終わり
権力側が組の「切り捨て」を開始した背景については〔略〕それまでの官僚エリートと党人派の連合による政局運営の官僚エリート独裁への移行と、政策的には、〔略〕財界テクノクラートによる近代的労務管理体系の完成ということになるだろう。政治にとっての暴力団の有効性は、派閥次元でのプライベートな私兵的活用、反政府勢力総体に対する威圧――暴力弁としての活用の二つであるが、公安警察の強化と社会の側の暴力団認識の変化により、暴力団利用のメリットはなくなった。
資本の側は、暴力団を利潤追求の過程での協力者(スキャップ、テロ、威圧)として利用してきたが、日経連主導の近代的労務管理と労働者の差別分断政策がみごとに定着しているいまでは、原始的な暴力はまるで必要としない。
ここでいう労務者の差別分断政策とは、総評・同盟体制のことである。〔略〕総評・同盟は、中小零細企業労働者や出稼ぎ労働者を切り捨てた存在としてある。これは日経連方式の勝利であり、そこでの闘争とは、経営と組合の利潤の奪い合いの八百長ゲームでしかない。〔略〕
とくに巨額の過剰流動性をかかえた商社資本は、それまで中小企業の花園とされた〔略〕経営にまで乗りだした。警察官僚OBによるガードマン会社の設立、興行資本の芸能プロダクション分野への進出、各種風俗営業店の経営〔略〕がこれにつづく。
これらの職種は、従来は、やくざのテリトリーであった。〔略〕興味ぶかいのは、独占資本のやくざ市場への進出と警察庁の暴力団潰滅作戦が、平行して展開されていることである。
〔略〕やくざの歴史とは、やくざが営々として築いてきたテリトリーを権力―独占が奪いとってきた歴史であるといえる。〔略〕
日本のやくざは、その発生したときから、秘密結社ではなかった。〔略〕それは地域社会に深く根をおろしていたが故である。〔略〕これからのやくざは、市民社会の深部にうずまく非合法的要求を請負する近代的クライム・シンジケートに変貌していかざるを得ないのであろう。
出典;猪野健治『やくざ戦後史』(ちくま文庫、2000年)214p-219p。
- 作者: 猪野健治
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