カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「日本会議」について、情報整理

http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_conb07.htm
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050207/1107749609
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/200501
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050223/1109190662
日本会議」は、「新しい教科書をつくる会」、「北朝鮮拉致家族を救う会」の実体である。日本最大の右翼団体である。

日本会議」とは

 「日本会議」とは、会長は三好達*1、全国9ブロック47都道府県になんらかの組織をもつ、日本最大の右派組織である。2002年9月以来、「10万人ネットワーク」(設立5周年事業リーフレット)を目指して活動を続けている。また、これに協力する「日本会議国会議員懇談会」(現在242人、会長・麻生太郎衆議院議員)を持ち、国会と地方議会に強い影響力がある。1997年、「日本を守る国民会議」(運営委員長・黛敏郎)と「日本を守る会」が組織統合して結成されたもので、機関誌『日本の息吹』を毎月発行してきた。
 「日本会議」は、①憲法改正教育基本法改正③靖国公式参拝の定着④夫婦別姓法案反対④より良い教科書を子供たちに⑤日本会議の主張の発信、の5大スローガンを掲げて活動している。

民間教育臨調」と「日本会議

 「民間教育臨調」の副会長は5人のうち4人までを日本会議の役員が占め、同会に大きな影響力をもつ体制が作られている。日本会議の役員77人のうち、民間教育臨調に名を連ねている者は30人にも達する。名前を加えていない47人のうち25人は宗教団体役員であり、4人が「軍恩連盟」「日本遺族会」「日本郷友連盟」「英霊にこたえる会」など旧軍・自衛隊関係団体の役員、そして会長・事務総長の2人である。「日本会議」の四割近い(39%)役員を「民間教育臨調」に送り込みながら、明らかにそれと分かる会長・事務総長、および3分の1以上を占める宗教団体および旧軍関係者等を表に出さない工夫と努力がなされている。

宗教団体と「日本会議

 「日本会議」は、1997年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が合体して結成された。「国民会議」は、右翼文化人を中心としつつ旧軍関係者とも共闘する組織であった。「守る会」の方は、神社本庁生長の家仏所護念会念法真教モラロジーなど宗教・修養団体が中心となり、そこに曹洞宗管長・日蓮宗管長なども名前を連ねる宗教関係者中心の団体であった。
 「キリストの幕屋」も「日本会議」の有力な構成団体である。「キリストの幕屋」は毎週、サンケイプラザで日曜集会を行なっている。http://www.makuya.or.jp/hikari/sankei.htm

夫婦別姓反対」「在日選挙権反対」「首相の靖国公式参拝」と「日本会議

  「日本会議」の結成は、文化人中心の「国民会議」(実際には右翼的政治団体もいた)が、献身的で巨大な財政力・組織力・動員力を持つ宗教団体連合の「守る会」と合体することにより、国民動員的な巨大組織を目指したものであった。その結果、彼らはこれまで「夫婦別姓反対」や「在日の選挙権反対」などで大きな成果を挙げてきた(いずれの法案も提出されたが棚ざらしになっている)し、「首相の靖国公式参拝」にも力を入れてきた。
〔出典 http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_conb07.htm から構成〕

九七年結成時の「日本会議」「日本会議国会議員懇談会」の役員は以下の通り。

◆ 日本会議本部
会長 塚本幸一ワコール会長(98年6月死去)
副会長 小堀桂一郎石井公一郎(元ブリジストンサイクル会長)、岡本健治(神社本庁総長)・小田村四郎拓殖大学総長)、安西愛子・山本卓眞(98.9.22から、富士通名誉会長)
理事長 田中安比呂明治神宮権宮司98.9.22まで)、戸澤眞(98.9.22から、明治神宮崇敬会理事長)
事務総長 椛島有三日本青年協議会議長)
事務局長:松村俊明
  結成 :1997年5月30日(旧「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」の組織統一・再編による)
  本部 :〒153-0042 東京都目黒区青葉台3-10-1-601

◆ 日本会議国会議員懇談会日本会議と支援・連帯する国会議員の組織)
会長 島村宜伸(元文部大臣)
幹事長 平沼赳夫
事務局長 小山孝雄
  結成:1997年5月29日
  事務所:〒102-0093 東京都千代田区平河町2-7-5 砂防会館3F(日本会議第2事務所が同居)

*1:最高裁長官で、愛媛玉串訴訟の最高裁判決の際、合憲の少数意見を主張した