カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

小熊英二『日本という国』理論社

小中学生向けに書かれた、小熊英二の本。第一部が明治の近代化、第二部が第二次大戦後を扱っている。とくに第二部が面白い。
まず結論部分を以下引用する。

一九九五年に沖縄で女子小学生が米兵に集団暴行されたとき、沖縄住民の米軍基地反対運動はもりあがったけれど、日米地位協定のために日本の警察は犯人の米兵たちを逮捕できなかった。私[小熊英二]がインドへ行ったとき、知り合いのインド人に、この事件の話をしたことがある。
そうしたらそのインド人は、「そのとき日本の右翼はどうしたのか」と聞いてきた。「なにもしなかったと思うけど」と答えたら、そのインド人の返事はこうだった。
「それはおかしいじゃないか。日本はサムライの伝統があるといっている国だと聞くが、そういう国辱ものの事件がおきたときに、日本刀をもって米軍基地に斬り込みに行くような右翼は、日本にはいないのか。そこまでしないとしても、ナショナリストならそういうときに、米軍基地への抗議行動の先頭に立つべきじゃないか」。
どう答えたらいいか困ったけれど、日本にそういう右翼や保守ナショナリストがほとんど見当たらないのは、たしかに「おかしい」ことだ。[略]
[略]日本の保守政治家にも、いろいろな要求をつきつけてくるアメリカへの不満はあるはずだ。しかし、正面きってアメリカに文句をいうことは、なかなかできない。おそらく彼らは「日本の誇り」が傷つけられたと感じているだろう。
しかしそうした状況のなかで、彼らが「日本の誇りをとりもどす」といいながらやっていることは、あまり賢明とはいえないことばかりだと思う。たとえば、「中国や韓国の抗議に屈するな」とかいって、靖国神社に参拝する。あるいは、歴史教科書を書きなおして、アジアに「侵略」なんかしていないと言いはる。さらには、「アメリカから押しつけられた憲法をやめて自主憲法をつくろう」とかいう名目で、第九条を改正して「自衛軍」を海外派遣できるようにしようと主張する。もっぱら、そんな話しかでてこない。
しかしそんなことをすれば、アジア諸国との関係はますます冷えこむ。はたから見れば、自分より強い相手(アメリカ)には文句がいえないから、弱そうな相手(アジア)に八つ当たりしているようなものだから、それも当然だ。そうなれば、冷えこんだアジア諸国とのあいだを取りもってもらうために、日本はますますアメリカに頼るしかない。
それでアメリカに頼って借りをつくれば、またアメリカからいろいろなことを要求される。そうすると日本側に不満がたまり、また靖国参拝や歴史問題でアジアに八つ当たりして……となってしまいがちだ。これではただの悪循環、いわばナショナリズム・スパイラルだということはわかるだろう。
まして第九条の改正なんかは、アジアの反発を買うだろうばかりではなく、三島由紀夫のいうとおり「アメリカの思ふ壷」だ。[略]日本と自衛隊が「米国の番犬」にされるという結果を招きかねないだろう。
戦争をするというのは、とてもお金がかかる。とくに最近は、高価なハイテク兵器をどんどん消費するから、たいへんだ。アメリカ議会当局者の説明によると、イラク侵攻後の戦闘作戦で約二五一〇億ドル(約二九兆円)、さらに一ヶ月ごとに約六〇億ドル(約七千億円)もアメリカ政府は支出しているという。ノーベル賞受賞の経済学者たちの試算だと、イラク戦費は最大二三〇兆円といわれている。
アメリカはそのため、九〇年代のクリントン政権下では財政が黒字だったのに、二〇〇五年には史上第三位の財政赤字になってしまった。アメリカがアフガニスタンイラクで「同盟国」の軍隊に出動してもらいたがっていたのも、ひとつにはこんなにお金がかかることを、アメリカ一国では背負いきれないからだ。
こういう状況のなかで、第九条を改正して自衛隊がアメリカ軍といっしょに世界各地で戦闘するようなことになったら[略]ただでさえ大赤字の日本の財政はどうなるんだろうか。[略]
一九五一年に、サンフランシスコ講和会議を前にして、丸山真男という学者は、「病床からの感想」という文章を書いた。そこで彼は、「今度の講和が、中国及びソ連を明白な仮想敵国とした向米一辺倒的講和であることを否定するものはなかろう」と記したあと、こう述べている。

思えば明治維新によって、日本が東洋諸国のなかでひとりヨーロッパ帝国主義による植民地乃至半植民地化の悲運を免れて、アジア最初の近代国家として颯爽と登場したとき、日本はアジア全民族のホープとして仰がれた。……ところが、その後まもなく、日本はむしろヨーロッパ帝国主義の尻馬にのり、やがて「列強」と肩をならべ、ついにはそれを排除してアジア大陸への侵略の巨歩を進めて行ったのである。しかもその際、日本帝国の前に最も強力に立ちはだかり、その企図を挫折させた根本の力は、皮肉にも最初日本の勃興に鼓舞されて興った中国民族運動のエネルギーであった。つまり日本の悲劇の因は、アジアのホープからアジアの裏切り者への急速な変貌のうちに胚胎していたのである。敗戦によって、明治初年の振り出しに逆戻りした日本は、アジアの裏切り者としてデビューしようとするのであるか。私はそうした方向への結末を予想するに忍びない。

(178-185p)

[02:18]

ところで沖縄女子小学生暴行事件のとき、「日米地位協定」という言葉があまり説明なく報道で流れたが、これはつまり「治外法権」のことである。戦後の日本は日露戦争前の日本のごとく「治外法権」が国内にあるわけである。明治政府は「治外法権」を撤廃するために粘り強く動いたが、戦後日本政府は「在日米軍治外法権」撤廃のためにはほとんど何もしておらず、明治政府が「治外法権」を容認していた期間(約40年間)よりも長い期間(約60年間)、在日米軍治外法権を受け入れたまま放置している。日本政府は日本国民を守る意思を欠いているようだ。

[略]在日米軍が日本で自由に行動できるように、一九五二年二月に日米行政協定が結ばれた。それによって、アメリカ兵と、その家族のうち二一歳未満の者は、罪を犯しても原則的にアメリカ側に裁判権があり、日本側の裁判では裁かれないことになった。この日米行政協定は、一九六〇年に安保条約が改定されたさいに正式に条約化されて、日米地位協定と名前が変わった。
ずっとのちの一九九五年に、沖縄でアメリカ兵三人に、一二歳の女子小学生が暴行されるという事件がおきた。そのとき、沖縄の人びとはひどく怒って、米軍基地反対運動がもりあがった。しかし、日本側の警察は犯人のアメリカ兵たちの逮捕状をとったものの、犯人たちは米軍基地内に逃げこんでしまい、アメリカ側は犯人たちの身柄のひきわたしを拒否した。このときアメリカ側が拒否の理由にしたのが、この日米地位協定だった。(118-119p)

ここんとこ未解決の凶悪犯罪がいくつもあるけど、そのうちいくつかは、在日米軍による犯行なんじゃないの? という気がする。「日米地位協定治外法権)」問題がクローズアップされたら自民党政府は持たないから、在日米軍による犯罪は徹底して隠蔽工作されているように思うんだよね。たとえば世田谷一家殺人事件は米軍犯行説がけっこう説得力あったりする。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060110/1136867249
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061218#1166392077

また一九五一年に結ばれた日米安保条約では、米軍基地の使用には期限や制限がなく、一九五二年の日米行政協定では米軍の駐留費用は日本も分担することになった。
アメリカ軍が日本に駐留したり、米軍基地を維持する費用の日本分担金は、一時は廃止されていたものの、一九七八年からは「思いやり予算」という名前がついて復活した。こうして米軍基地の日本人従業員の労務費から、基地の光熱費や施設整備費などまでを、日本政府がはらっている。
二〇〇三年版のアメリカ国防総省報告によると、日本の「思いやり予算」は日本駐留の米兵一人あたり年間約一二万ドル。これは世界でも抜群におおい金額だ。
これの二〇〇三年版のアメリカ国防総省報告によると、準戦争状態にあるイラクをのぞけば、冷戦時代の最前線だったドイツについで、日本は世界第二位の規模の駐留米軍がいる国だ。駐留米軍が多い国の第三位は、冷戦時代のアジアの最前線だった韓国。ところが、ドイツは駐留米兵一人あたり年間約一万ドル、韓国は約二万ドルしか、それぞれの政府は出費していない。それにたいして、日本は約一二万ドルだから、ケタがちがう。
これだけのお金が、日本に住む人びとの税金(在日外国人も税金をはらっている)からしはらわれているわけだ。アメリカ側にとっては、これだけお金をはらってもらって、極東から南アジア、中東まで展開できる基地や港などを確保できるのだから、「同盟国」としてこんなにおいしい相手はいない。
[略]一九五二年七月には、アメリカは当時の日本首相の吉田茂と密約をかわし、日本の軍事力は有事のさいにはアメリカ軍の指揮下に入ることが合意された。要するに、日本の軍事力は、アメリカの指揮下で動くことがきめられたわけだ。
これだけ軍事的にアメリカ側に有利な条件をつけたかわりに、アメリカは日本に有利な条件を[サンフランシスコ]講和条約に盛りこんだ。それは、講和条約に調印した国は、戦争で日本からうけた損害の賠償請求権を、放棄するというものだった。
アメリカにしてみれば、日本は軍事基地として重要なだけでなく、補給基地としても重要だった。朝鮮戦争に出動するアメリカ軍の衣服やトラック、陣地づくり用のコンクリートや鉄条網などは、日本の産業が受注して、日本から補給された。[略]
[略]アメリカは、各国を説得してまわった。一九五一年二月、九月に開かれる講和会議を前にして、アメリカの大統領特使ダレスが、フィリピンとオーストラリアを訪問した。[略]フィリピンは賠償問題でダレスともめ、会談は物別れに終わったばかりか、反ダレスのデモがおこった。
[略][サンフランシスコ講和会議では]インドやビルマは、講和の内容が不満であるとして、会議そのものに欠席した。[略]
[略]結局、フィリピンと南ベトナムは賠償請求権を放棄せず、インドネシアでは条約が国内の反対にあって批准されなかった。
しかしそうした国ぐにへの賠償の形態は、日本の経済的復興を助けるため、日本に原料を提供し、それを日本の工場で加工させるという、「役務賠償」というかたちに限定されて、あとは日本と各国が個別に交渉することになった。つまり賠償も、日本の経済復興に役立つ形式にされたわけだ。
そして、こうしておおくの国に賠償請求権を放棄してもらうかわりに、講和条約第一一条では、東京裁判をはじめとした「連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」することが日本に義務づけられた。[略]
こうして日本は、いちおうは「独立国」になった。しかし、占領軍がいるままの「独立国」というのは、いささか奇妙なものだった。
[略]エジプトの代表は講和会議の場で、自国がイギリスの植民地にされた経験から、「外国軍隊が日本に駐留しているかぎり、日本には完全な自由が与えられていないものと考える」と演説した。じっさいマッカーサーは、一九四九年一一月の天皇との会見で、講和語の日本には「英米軍の駐屯が必要でありましょう。それは独立後のフィリピンにおける米軍やエジプトにおける英軍やギリシャにおける米軍と同様の性格のものとなりましょう」と述べている。
[略]東大総長になった矢内原忠雄は、この講和条約と安保条約は日本をアメリカの植民地にするようなもので、「講和後の日本を米国に対しいわば[日本の植民地だった]『満州国的存在』たらしめるもの」だと批判した。[略]
[略]警察予備隊(のちに「保安隊」、そして「自衛隊」と改称される)は、アメリカの意向でつくられた軍隊で、兵器はアメリカから供給され、アメリカ人の軍事顧問のもとで訓練された。だから当時は、世間から「アメリカの傭兵」とか「税金どろぼう」といった声が浴びせられることもしばしばだった。
[略]朝鮮戦争の最中だった一九五二年一二月に、山下義信という右派社会党の議員は、参議院予算委員会で、当時の吉田茂首相にこう質問している。

[略]今世論が再軍備に反対しておるというこの国民の心持は……米国の番犬になることはいやだ、[略]一体アメリカは日本の軍備を奪うておいて、そうして又都合のよいときには軍備をしろということは……日本人を馬鹿にしておる[略][アメリカ政界で出ていた]朝鮮に日本人をやれ[派兵]といった議論に対しましては、国民は憤激いたしました。

(118-132p)

日本という国 (よりみちパン!セ)

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