Kiss me girl
CLick for Anti War http://d.hatena.ne.jp/claw/20060530#p2 トラカレ http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060529 経由。
き み が あ よ お わ
kiss me, girl, and your old one
ち よ に い い や ち よ に
a tip you need, it is years till you're near this
さ ざ で い し の
sound of the dead "will she know
し わ お と な り て
she wants all to not really take
こ け の む う す う ま あ で
cold caves know moon is with whom mad and dead"
訳:僕にキスしたら君のその古臭いジョークにも (サヨナラの)キスをしておやりよ
君に必要な忠告をあげよう 死者たちのこの声が 君に届くまで何年もかかったんだよ
「国家ってのは本当に奪ってはならないものを欲しがるけど そのことに気がつく日が来るんだろうか?
冷たい洞窟だって知ってるんだ (戦争で傷つき)気が狂ったり死んでしまった人たちを お月さまはいつも見てるってことを」
註:古臭いジョーク (old one) たとえば「南京大虐殺は無かった」とか「鉄道や学校の建設など植民地にも良いことをしてあげた」とか「従軍慰安婦は商行為」などの嘘八百。
そして統一協会系(生長の家青年部右翼団体「日本青年協議会」作成者でもある)高橋史朗にコメントさせるすばらしき産経新聞の記事。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060529-00000000-san-soci
≪陰湿な運動≫ 高橋史朗・明星大教授(教育学)の話「国旗国歌法の制定後、正面から抵抗できなくなった人たちが陰湿な形で展開する屈折した抵抗運動だろう。表向き唱和しつつ心は正反対。面従腹背だ。国会審議中の教基法改正論議で、教員は崇高な使命を自覚することが与野党双方から提案されている。この歌が歌われる教育現場では、論議の趣旨と全く反する教育が行われる恐れすらある」
(産経新聞) - 5月29日3時16分更新
産経新聞記事(とくに高橋史朗コメント)へのwebユーザーたちのコメント↓
◆記事の中でコメントしている高橋史朗って大嫌い。権力にすり寄って大見得を切るんじゃないよ。恥を知れ、恥を。抵抗運動っていうのはそういうもんだろう…
◆こういうの考え付く人って尊敬するなあ。つうか強制されなければこういうもの歌う必要もないんですけど?
◆この手のブラックジョークって旧東側諸国みたいだな.それだけ社会が息苦しくなっているってことか。。。
◆素敵だ。。でも、それだけ惨い状況ってことなのか。。「陰湿な運動」って、陰湿なのはどっちだよ!
関連ブログ記事。1922年1月生まれ、当年84歳の激高老人ブログ。↓「愛国心」を煽る者は自分は死なない立場から煽る
http://gekko.air-nifty.com/bc/2006/05/post_e663.html
お国のためにからだを鍛えておけと言うことは、極言すれば戦死するためにからだを鍛えておけと言うことなのだ。ところで当時は医者はめったに召集されることなく、またたとえ召集されても戦場で死ぬことはなかったのである。当時はこの医師のように自分は死なないのに若者に死ねと言う人がかなりいた。学校の教師たち、村や町の自治組織のリーダーなど。もちろん、かなりいたと言っても、人口100人のうち数名程度にすぎないのだが、それでも他の人々の多くが彼らに同調するか、同調しないまでも反対はしないという構成であったから、「お国のために死ね」と言われる側が受ける重圧はかなりのものだったのだ。この重圧のゆえに愛国者が威張っている、という印象が広がっていたのである。いろんな人がいろんな場で、入れ替わり立ち替わって愛国者の役割を演じた。そして、この愛国者たちの大部分は戦場で死ななくても済む人たちだったのだ。
愛国心の涵養を教育の目的の一つとして教育基本法改正案に盛り込んでいる人たちは、はっきり意識しているかどうかは別として、究極においてはお国のために喜んで死ねる人間の形成をめざしているのだ。ところでこういう人たちは、他人に対してはお国への奉仕を要求しながら、自分たちは結構私利私欲を追求して恥じるところのない人たちなのである。そして仮に不幸にして戦争が起こった時、彼らは安全な場所にいながら若者たちに対してお国のために死ねと言う人たちであると、拙者は確信している。〔略〕
〔略〕お国のためにからだを鍛えた若者がいたとすれば、彼はその立派な体格のゆえに若死にしたのだ。一方「お国のために死ね」と煽った人たちのほとんどは無事に生き残った。彼らは結構「自分のために生き」ていたからである。