カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

宮崎市定『中国文明論集』岩波文庫、1995

宮崎市定が「景気史観」を着想したのは1960-62年、欧米での客員教授を経験した頃のことだと解説にあった。以下、宮崎市定中国文明論集』(岩波文庫、1995)収録「六朝隋唐の社会」(1964年)から引用する。小見出しはカマヤンがつけた。

1 景気史観

景気という言葉は、もともと資本主義社会の現象を説明するためにできた言葉であるが、しかしこれを長い歴史時代に拡充して応用しても一向に差しつかえない。要するに次第に商品が出まわり、貨幣の流通が多くなり、労働力が需要され、生産も消費も盛んな時代は好景気の時代である。生産したものはよく売れ、買い貯めておいたものは値上がりし、それが更に生産を刺激する。こういう時代には、強気な商人ほど莫大な利益をつかむ機会が多い。たとえ一度や二度損をしても、また立ち直ることが可能である。(313-314p)
〔略〕前漢も末になると、経済界には不況の嵐が吹き始めてきたのである。それを最もよく現わすのは、貨幣の不足が感ぜられてきた事実である。
〔略〕前漢以後、西域との交通が盛大になってくると、中国の黄金は、中国よりも更に文化の進んだ西アジアへ向かって流出しだしたのである。(315p)

2 王莽の経済政策

前漢に代わった王莽の新経済政策は、正しくこの経済界の不況〔黄金の減少と通貨の不足〕に対処するために考案された苦肉の策というべきである。彼は貨幣総量を増すために、まず銀に貨幣価値を付与することを考えて、〔略〕次は銅銭の改鋳で、大小銭を造ったが、要するにその目的は平価切下げに他ならない。〔略〕一度悪貨が市場に現われると、いよいよ旧銭は姿を見せなくなり、不景気は益々深刻となるのである。この混乱の中に王莽は倒れたのである。
〔略〕貨幣は使うことは容易だが、一たん手中を離れたものはこれを得たときに数倍する努力の後でなければ再び戻ってこない。これが〔不況時代での〕王莽の与えた貴重な教訓であった。そしてなるべく金銭を支出しない経済策とは、荘園という自給自足の独立王国を築き上げて、そこに立て籠もることである。〔略〕貨幣は死蔵され、〔略〕不景気はいよいよ深刻になる。こういう退嬰的なやり方が、およそ後漢頃に一般化し、それが六朝隋唐へ受けつがれたといえる。(316-317p)

私は経済に関して無知蒙昧なんだが、この王莽の経済政策というのは、ハイパーインフレ政策と相通ずるんじゃないだろうか。

3 官吏の貴族化

また前漢時代は、官吏任用については定まった制度がないといわれるほど、抜擢が自由であった。庶民から任官するには、もちろん多大の障害があったであろうが、それでも才能と幸運によって大官に上りうる道が開かれていた、しかるに六朝に入って貴族制度が成立すると、官位はその地位に応じた大小貴族の間に独占されて、庶民の立身する途が塞がれてしまった。これは任官権の制限ということができる。(319-320p)

ここの部分読んで連想したのは、日本の官吏任用は明治時代はわりと自由だったが、日露戦争以降官僚制が現在と同じ形に整い、現在と同じ弊害を持つようになった、という、以前歴史学者の方から教わった事柄。

4 市民社会化と、世襲官僚化

私〔宮崎市定〕の考えでは、中国の上古においては、社会上、士と庶との階級的対立があったと思われる。しかしそれが春秋戦国の間に、次第に両者の間隔が接近して来、漢に至っていちおう解消されたと見てよい。『漢書』にしばしば、天下の民に爵一級を賜る、という記事が見える。さて新漢時代の爵の最下級は公士、即ち士の身分である。故に賜爵の事実は、天下の庶民をすべて士の扱いにしたことを意味し、表面的にもあれ、士・庶の差別はここで一旦、消滅したことになるのである。
しかるに士・庶の区別が消滅する一方、今度は吏・民の別が生じてきた。漢代の吏は、即ち後世の官であり、官位にある者は、一般の人民とは違った特権を享受することができた。後漢以来、官位が次第に特定の家族に独占されるようになると、彼らは社会的な特権階級となり、その家だけが士族と称されるようになった。ここに新たなる士と庶の対立が生じたが、これが六朝隋唐の社会の特色をなしている。(320-321p)

中国は漢の時代に一度近代を経験をした、という説明は、たとえば司馬遼太郎なんかもしているが、かりそめにも一旦階級対立が消えたということは一種の「市民社会化」が成立したと見ていいんだろうなあ、と思われる。そしてその後に世襲官僚による貴族階級が登場するというのは、現在の「階層の固定化」傾向と通ずるものがあり、ある意味不気味な予言にも読める。

5 「貴族社会」化と「隣組

後漢末の董卓の乱が始まって以来、中国の内部は戦乱に明け暮れする〔略〕、人民は塗炭の苦しみに陥った。〔略〕
〔略〕三国対立の時代が出現するが、いずれの国も自国の存続だけを至上目的とする軍事政権であるから、人民の利益などには構っておれない。人民は常時戒厳令下におかれ、政府の戦争目的の犠牲となって、次第にその権利を無視されてきたのである。〔略〕
南北朝時代になってもそれは同じで〕こういう場合の最大の犠牲者は外ならぬ人民である。そして弱い者ほど被害が大きいのである。人民は政府の人民でいるよりも、むしろ私的に強力な豪族の隷民となってその保護を受けるほうがましだと考える。〔略〕
人民を思うままに使役するに一番容易な方法は、隣組、即ち保伍(ほご)を造らせて連帯責任を持たせることである。租税の徴収も、兵役の徴発も、隣組に責任をもたせてやれば、人民同志はたがいに他に迷惑の及ぶことを恐れて、何でもお上の命令に従うものなのだ。こうして人民の地位は益々低下して行く。こういう苦しい社会を背景にしてこそ、仏教はその教線を拡大することができたのである。
ところで、もしこういう際に、隣組にも入らないでいい、兵役にも行かないでいい、そして選考なしで官位につける、という家があったらどうだろう。実際にそれがあったので、士族といわれる貴族階級は、正しくそんな特権を享受していたのである。一般民が困苦していればいるほど、こういう特権は値打ちのある有難いものだ。金は自然にたまるし、地位は自然に上がるし、そのことがまた再び、金がたまり、地位が上がり、既得権を固める原因になるのだ。こうして貴族の勢力は、人民の地位の低下に反比例して上昇して行く。ほとんど封建領主と変わるところのない貴族勢力が、このようにして六朝時代、特に南方において堅固に形成されたのである。(323-324p)

現在の社会は、この「中世」社会化、「貴族社会」化の過程にあるのかもしれない。ウォーラーステインなどによると現在は経済の収縮期だそうだ。だから、古代から中世へ至る時期と現在は経済的に似ている。
日本名物世襲官僚・世襲政治家は、貴族階級として庶民との経済格差を拡大化させる政策を意識的であれ無意識的であれ、その本能に従いとっているのだろうと思われる。彼らが既得権を守るためには合理的な政策だ。我々にとってはムチャクチャな理不尽を飲み込めと要求されている過程にあるといえる。
中国の古代並びに中世には、「庶民による選挙権」という制度は存在しなかった。我らは現在まだ手中に残されている民主制という武器を適宜賢明に用いることにより、「中世への闇」が落ちることに抗することができる。安倍晋三のごとき痴呆が最高権力者となってしまっている現在、「中世」化・貴族階級の貴族階級化はかなり酷い状況になっているともいえるが。「中世」の闇が落ちるか、それを打破するか、その分水嶺に現在はあると思われる。
あ、「中世の闇」って言葉はスプレイグ・ディ=キャンプの『闇よ落ちるなかれ』から私が勝手に流用した。私の一番最初のペンネーム「ジョー・キャンプjr」はスプレイグ・ディ=キャンプからとった。スプレイグ・ディ=キャンプのそれほどいい読者では私はないけど。

中国文明論集 (岩波文庫)

中国文明論集 (岩波文庫)

関連 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060313#1142188481

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