1月11日
1月11日の前日前々日が中学受験の1月入試のピークだった。11日は久しぶりに休日だった。ぽっと休日ができたので、これは天が何か命じている気がしたので伯父の見舞いに行った。
伯父の容態は前回より悪化している。節分までもたないかもしれない。私はこの伯父にもっと色々相談しておくべきだった。ということを伯母に言う。この場面で言われても伯母も困るだろう。人生は巧くいかない。
病院を退出し駅に着きターミナルの書店に入ったところで母から携帯に電話。私と入れ替えで伯父を見舞いに来たとのこと。久しぶりに実家に顔を出せと。なんかの導きかなと思い、従う。母の車で、山を越える。長いトンネルを抜ける。地方都市から、地方僻地へ。山道から眼下に見下ろす村落。文化は人の集まるところにあり、人がごくまばらにしかいないところでは文化も何もない。
久しぶりの実家。私の実家は人の生活圏からかなり断絶している。実家の施設は昔よりはだいぶセンスが良くなったが、それでもセンスに改めて忸怩たるものが。父母と会話。父母は悪人ではないが、改めて、信じがたいほどに思考の枠が狭い。そのごくごく狭い枠の範囲でしか対話が成立しないのは、改めてつくづくきつい。しかし私の感じるきつさを父母が理解することは生涯ない。きついなあ。
その日のうちに、東京へ戻る。翌日、「力を持て余す」という表現がこだまする。田舎では選択肢が狭すぎて、常に「力を持て余す」状態になる。父母にもう少し社会常識があったら、と、どうしても思う。「お前もいずれ親の気持ちが判るようになる」と私の今の年齢よりもっと母が若かった頃から母は言い続けているが、私が年齢を重ねて判ったのは、我が親は公平に見てあまり利口ではないし愛情もさほど厚くないということだ。塾で人の親を100人くらい見た中で、我が親は下から8番目くらいにバカ親だ。
ところでもう人生も後半なのに今更親のことをどうこういうな、と、9割くらいの人は思うだろうが、なんつーかね、自分をレイプした人と時折顔を合わせるようなそういう感覚でして、思考がたいへん不健康に空転する。観察の限りでは抑圧的なバカ親はペドファイルを生産しやすいが、抑圧的なバカ親は自分を抑圧的だとは絶対に認めない。ところで肉親のマイナス面を語るのは心理的ブレーキが激烈にかかるので、いつまでも燻る。
そしてこの恨み節は自分自身の不甲斐無さの裏返しであり、沈黙しているほうがまだしも賢明だという判断が働く。自分も「肉屋を愛するブタ」http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20091023#1256233811の変種なのだと思う。