「働かざる者、食うべからず」
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http://exice.tumblr.com/post/2697881837
「働かざるもの、食うべからず」という言葉は調べてみると、レーニンが新約聖書のパウロの言葉を取って言ったものらしい。つまり当初は、労働者階級の立場から、のうのうと暮らしている特権階級を糾弾するフレーズだったのだ。それが、最近では逆に「弱者」に向けて、自己責任論などと結びつけて発せられる狭量な言葉となっている。皮肉な話ですね。
http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=2703511
2010.1.29
働かざるもの食うべからず
「働かざるもの食うべからず」とは有名な言葉だが、最近どうも妙な使い方をされているような気がする。「自己責任」を強調する文脈で理解している人が多いようなのだが、日本の近代史の中で考えるなら、ほぼ正反対の意味で使い始められた言葉なのだ。
これは共産主義者が資本家を攻撃するときの決まり文句の一つだった。自らは額に汗する労働もせず、美食と談笑をしながら労働者を搾取する契約書にサインする悪徳資本家というイメージである。戦後の労働運動が高まった時期にも、間違いなくこの文脈で使われていた。労働歌に出てくる「全一日の休業は 社会の虚偽を撃つものぞ」といった歌詞にも、その雰囲気は表現されている。
そもそもこの言葉は新約聖書のパウロの言葉で、それをレーニンが引用したことから社会主義者が使い始めたようだ。だから「働かない者が貧乏なのは自分の責任だから、助けてやる必要はない」という思想とは無縁のものである。レーニンは資本家階級を絶滅させて、国民すべてが勤労大衆となる社会を理想としたのに違いない。
http://kousyoublog.jp/?eid=1779
キリスト教では労働は神から与えられた原罪故に行わねば成らない課業なので、怠惰を戒め神から与えられた労働という苦役を共同体で分かち合うことを重視した教えが「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」=「働かざるもの食うべからず」だったようです。近代に入ってこの「働かざるもの食うべからず」を効果的に引用したのがレーニンで、彼は当時ロシアに居た貴族や資本家などの特権階級が労働することなく贅沢な生活をしていたことを攻撃するため聖書のこの一節「働かざるもの食うべからず」を引用しました。働いてないのに贅沢な暮らしをしている特権階級を倒して共産主義革命を!という趣旨での「働かざるもの食うべからず」です。
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同じフレーズ、同じ言葉が、逆の陣営によって逆の意味で使用され定着するというのはしばしばある。
それで連想したが、小熊英二の研究『〈民主〉と〈愛国〉』、未読の方は一読されたし。かつて愛国と民族は共産党のフレーズだった。言葉の使用を歴史研究するというのはわりと新しい、そして政治や社会をみる上で大切な研究だ。
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