カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

3月11日の思い出

1

昨年の3月11日、河口湖は好天気だった。
地震が起きたとき、私は店番をしていた。地震の震度は4くらいだった。揺れが随分長い、と思い、倒壊の可能性を考えて、私は家の外へ出た。近所というものがないので家の外に出ると倒壊による怪我の可能性がウチの場合なくなる。老父は家の中にまだいた。「これで倒壊して老父が死んだら、一生後悔するな」と思った。幸いにして地震がおさまった。
地震速報を見ようと思ってテレビをつけた。電気が止まっていることに気付いた。
ラジカセが我が家に一台あった。電池で動かしたことがそれまでなかったが、電池が幸いにしてあった。電池で動かした。我が家はラジオの電波が入りにくい地域だが、なんとか聴き取れた。NHKラジオはありがたいと思った。地震の規模が大きいことなどをそれで知った。
我が家には2組客がいた。電気が使えないと自炊もままならない。親戚のコンビニへ客と家族のぶんのカップ麺を購入しに行った。村中の人間が購入しに来ていた。
ウチの暖房のほとんどが電気を用いないと動かないものだった。電源不要なストーブが一つだけあった。二組の客に、それぞれ時間を決めて交代で貸し与えた。
午後6時になると真っ暗だった。対岸にもどこにも明かりがない。早めに就寝した。老父母と私とで誰がラジオを夜確保するか、じゃんけんで決めた。私が勝ったんだったかなあ? 
携帯電話からツイッターを見ることができるはずだと気づき、ツイッターにつないだ。ツイッターは大混乱していた。

とだけツイートしてこの日は寝た。
ウチの地方では、この後、3月12日昼ごろまで停電が続いた。私の嫁が当時勤めていたホテルでは、蝋燭の明かりで料理をして給仕していたそうだ。

2

地震直後から翌日までの長い停電の印象が強かったので、なんとなく、3月11日の震災直後は関東圏全部で停電状態だったような錯覚をつい覚える。そんなことはなくて、東京のほうでは停電してなくて、テレビで震災のリアルタイム情報を見れていたんですね。
直後の長い停電を自分が経験したので、なんとなく、首相官邸もきっと停電だったんだろうとか錯覚するんだが、そんなことはないんですよね。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32058 を読んで、いや別にあまり関係ないんだけど、そんなことを思った。

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