「幕末の攘夷論と開国論」
宮崎市定『古代大和朝廷』収録「幕末の攘夷論と開国論」に、こんなことが書いてあった。
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問;なぜ長州藩と薩摩藩はあんなに攘夷論を熱心に説いたか、そして政権を獲った後開国に豹変したのはなぜか
答;幕末の長州と薩摩の藩財政を支えていたのは、薩摩の場合琉球を通じての密貿易、長州の場合対馬を通じての朝鮮・清との密貿易だった。
密貿易の利益は、鎖国政策が行なわれているからこそ得られる。幕府が開国したら僻地の密貿易港は完全に存在意義がなくなる。だから幕府の開国にあんなにも反対した。
幕府の開国政策を覆すために、長州薩摩は密貿易で得た金を思い切って自藩の脱走者だけでなく他藩の浮浪者にまで撒き尊王攘夷を説かせた。
討幕が成ると早々に天皇に「智識を世界に求め」と宣言させたのは、それで攘夷論をチャラにするためで、開国する利益を初めから知っていたから。
長州薩摩の地元民は、開国によって酷い不景気になった。散々苦労させられた結果、少数政治家を中央政府に送り込んだだけだった。
この不満と妥協して人為的に景気挽回を図ろうとしたのが西郷隆盛の征韓論だった。
以上メモする。