地理の塾講師がたぶん9割がた言う「生産性」文明論+たぶん1割の地理講師の言う「多様性」論
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俺は自分自身が地理の勉強するのはわりと苦手だったが、塾講師時代に産業別地理(系統別地理)を教えていた時得た知識というか雑学というか、以下記す。たぶん地理講師の9割が似たこと言う。
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この頃、「日本人の生産性が低い」というのが話題になっている。
この「生産性」って言葉自体が一般社会に入ってきたのがごく最近で、俺がその定義をどの程度ちゃんと理解しているのがすげえ不安があるんだが、単位時間あたりにどれだけの価値を生産できるかということらしい。
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で、日本人は「生産性」が低くて、特にサービス業での生産性が低い、というのは最近ニュースになった。
俺的に雑に解釈すると、給与が同じなら労働時間が長いほど生産性は低い。給与が同じなら労働時間が短いほど生産性は高い。
ならば、給与が高くなって休暇が増えて労働時間が減れば「生産性」が高い、ということになる。
ここまでに大間違いはないか。
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ところで地理講師的には、欧州と日本の農業の違いがどうしても連想される。
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欧州では麦が農業の主体である。麦は同じ土地で連作すると連作障害を起こす。よってローマ帝国時代は土地を二分割して半分だけ農地として残り半分は休耕地とした。これを二圃制という。
中世ヨーロッパではこれが進化して農地を三分割した。三分の一に小麦を植え、三分の一に大麦かカラス麦を植え、残り三分の一には牛を放牧した。で、この三つをぐるぐる回した。ぐるぐる回すことを輪作という。日本では北海道で輪作を行なう。農地を三分割して輪作する農法を「三圃制」という。麦作と放牧を兼ねるのを「混合農業」という。
麦を主力とする際、連作障害を避けるためにどうしても土地を3年に一度休ませる必要がある。この休ませている期間は農地にクローバーを植えて牛の餌にして牛の放牧地とし、牛の糞が畑の肥料となり翌年の実りを約束する。この過程を飛ばすと土地は枯れ農地として死ぬ。だからどうしても休ませる必要があり、土地を休ませることにより牛肉を得る。
だから欧州の農業では、「土地は三年に一度は絶対に休ませる必要がある」「休ませることで(牛肉など)得られるものが多い」と畑は教える。
さらに言うと、北欧州の夏はあまり暑くないので雑草はあまり固くならず、家畜の餌として有益な程度の硬さにとどまり、日本の気候に比べ牧畜が楽である。
さらに麦を主力とした農法は雑草もそれなりに食料となり、雑草を駆逐するよりは雑草を放置して困窮作物として利用するのが利口である。地域と雑草の種類によっては小麦・大麦という主力作物の座を奪うことだってある。たとえばハト麦とかライ麦とかは雑草由来だ。だから目的の作物(小麦)以外の雑草は放置するほうが利口だ。雑草を駆逐するのは馬鹿のすることだ。
ここから以下のような文明的価値観が生まれ、浸透する。
1;農地を三年に一度休ませないと元も子もなくなるのと同じく、人生の三分の一くらいは休め。休むことで得ることは多い、たとえば牛肉とか。休まないと土地が枯渇するのと同じく人間も枯れ果て使い物にならなくなる。
2;雑草は放置していい。放置して生えた雑草は牛の餌になったり、飢饉の時の食料になったりする。*1
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日本では米が農業の主体である。水田は連作障害を起こさない稀有な品種である。その代り雑草を駆逐する必要があり、雑草を駆逐するために多大な労力を必要とする。
よって、水田社会では以下のような文明的価値観が生まれ、浸透する。
1;農地(水田)は休ませる必要なんて全くない。手間をかけて雑草を駆逐すれば駆逐しただけ成果が出る。よって朝から晩まで手間をかけるべきである。休むな。
2;日本の夏は暑いので雑草を放置していると硬くなり手に負えなくなる。よって雑草を駆除する必要がある。裏作としての麦栽培でも、水田文化を援用して麦栽培しているから必要以上に無駄に雑草駆除した結果、水田文化のある社会では麦栽培でも雑草を駆逐しまくった。不必要な作業だったが。それを善とこの文化では考える。
この社会では休暇は悪である。よって「生産性」という観念は生まれないし、浸透しない。
同様にこの社会では雑草は悪である。
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ということで日本では「生産性」を高くしようと考えるのは、休暇を人生の三分の一得ようとか与えようとかするのは、農業伝統文化的に「悪」な、怠け者の考えだと見なされる。
だから日本では「生産性」は上がらない。
*1:これが文化多様性を良しとする根拠であるのなら、じゃあ「魔女狩り」や異端への不寛容はどうなのだという問題は当然に沸くが、それは別問題というか問題が立体化多層化しすぎるのでここでは棚に上げる。