「水俣病」と「有機水銀」
クッキーと紅茶と ■[南京事件]南京事件否定派が増殖するメカニズム、そして「水俣」との共通性 http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061101/p1 を読んで思い出したので、ここに置いておく。以下、だいぶ前に書いたもの。
「水俣」と「水銀」について。
「水俣病は水銀と関係ない」説 というのが1959年頃、熱心に吹聴された。日本化学工業協会専務理事・大島竹治、東京工大・清浦雷作教授、東邦大学戸木田教授、といった人々が、「水俣病は水銀と関係ない」説を主張していた。
1960年「田宮委員会」という「第三者機関」が発足した。この「第三者機関」は清浦雷作教授、戸木田教授らが参加していて、日本化学工業協会から費用が出ていた。つまり実態は全然「第三者機関」ではなく加害者側の機関だった。
厚生省外郭団体・食物衛生調査会が、ある種の有機水銀が原因である、という中間答申を大臣に提出し、即日解散した。参加していた学者すら部会解散を知ったのは新聞記者に聞いた後だった。ある研究グループで望ましくない結果が出たときは、そこでばっさり解散して、また新しい素人を集めつぎの研究グループを作る。タライ回しの手口だ。
宇井純「? 水俣病」『公害原論』p100-104
「水俣病を調べて気づいたことですが、公害には四つの段階があるらしい。〔略〕つまり、公害というものが発見され、あるいは被害が出る。それに対して原因の研究、因果関係の研究(第一段目)、というものが始まりまして、原因がわかる。これが第二段目とします。原因がわかっただけで決して公害は解決しない。第三段目に必ず反論が出てまいります。〔略〕そして第四段目は中和の段階であって、どれが正しいのかさっぱりわからなくなってしまう。これが公害の四段階であります。〔略〕
これを水俣病にあてはめてみますと、起にあたりますのが、病気の発見の一九五六年から五九年まで、原因追求の過程が起であります。
有機水銀が発見された一九五九年は、これはそれに続く承の段階であります。そして五九年の秋から六〇年にかけて、転の段階に入ります。すなわち反論の段階です。
この反論は全体に質より量であります。〔略〕なんでもいいからたくさんしゃべった方が本当の正しい原因がわからなくなります。」
宇井純「? 水俣病」『公害原論』p98-99
- 作者: 宇井純
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