カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「機密費」

戦前の会計検査院法(一八八九年五月施行)では〔略〕機密費は会計検査院の検査の対象外であることが明記されていた。(8p)
一八九二(明治二十五)年度の予算案は〔略〕機密費削減予算案が、衆院の予算委で可決した直後に、何と、解散詔書が突如、発せられ、この「機密費大リストラ予算案」は廃案になってしまったのである。
このように、明治時代の国会の開設当初から、機密費が最大の政治問題として存在し、それによってわが国の憲政史上、初めての「解散総選挙」が行なわれたことは、我々の記憶の中にはっきりととどめておいてよい。
〔略〕政府権力の側が、機密費を使って民党の議員たちを切り崩し、予算案を成立させていったところに、「機密費」が抱えている本質的な問題が存在している。(11p)
二〇〇〇年度予算においては、官房機密費(正式名称・内閣官房報償費)が十五億千九百万円〔略〕。外交機密費(正式名称・外務省報償費)が五十五億六千六百万円〔略〕である。
〔略〕機密費が一気に増額される大きなきっかけとなったのが、一九六〇年代の、戦後処理を巡る日韓交渉だった。(25p)
長期化していた日韓交渉が決着していく契機となったのは、一九六一(昭和三十六)年五月、韓国で、陸軍少将だった朴正熙が軍事クーデタによって政権を掌握したことによる。
朴政権は〔略〕KCIA(韓国中央情報部)部長・金鍾泌の指示で、KCIA側の人間が、日本の政財界中枢の人物たちと水面下での接触を始めた。
日本側では、自民党内でも、岸信介佐藤栄作といった官僚出身の政治家は概ね交渉には前向きだった。ところが、党人派のドンだった大野伴睦が、戦後すぐに在日朝鮮人の青年に襲われ、前歯を折られていたことから、「大の韓国嫌い」として有名で、これが「日韓交渉最大の障壁」といわれていた。
この大野伴睦説得の「切り札」として使われたのが、右翼の大物で、政財界のフィクサーとしても名が通っていた児玉誉士夫だった。KCIA側は〔略〕児玉と接触し、自民党内で交渉締結に反対する人物たちに対する切り崩しにかかったのだが、まず、この過程で莫大な金がかかったという。(26-27p)

日本の裏金 (上)首相官邸・外務省編

日本の裏金 (上)首相官邸・外務省編

なお別な本で読んだんだが、戦前の日本の予算のほとんどは軍事予算に割り振られたんだが、その軍事予算のうち巨大な軍事機密費は右翼・暴力団の資金源として流れたのだそうだ。
「九条」改悪によって潤うのは機密費で潤うヤクザなのだろう。
その連想から以下をリンクしておく。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070227■[原稿][日本青年社]「日本青年社」こと「住吉会
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060528#1148747176■[メモ][情報統制][呪的闘争]自民党による2ch工作
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070428#1177704344■[選挙][呪的闘争]webで民主党を中傷する工作について

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