カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

戦争は殺しに行くのではない、殺されに行くのである

バイト先の、小学部の講師が風邪で倒れ、私が急遽代講する。以前は私が担当していたコマなので、急遽だったが準備はさほどしないでもしのげた。私の後任講師は存外講義が下手ですこぶる生徒受けが悪く、相対的に、私はすこぶる生徒受けがいい。
で、社会科の「歴史」の、戦国時代から安土桃山時代にかけてを講義する。日本兵士が殺害した朝鮮兵士の耳を切り落として記念品として集めた「耳塚」(所在地・京都)の件などが中学受験には出るから、受験用テキストには大きく載っている。ちなみに第二次大戦で米軍も日本兵士の耳を切り落として自宅のドアに飾ったりした。こういう野蛮な風習は東西を問わないものだね。
そんなことを講義していると、生徒から「戦争でいかに人を殺すか」についての質問があった。この質問は常に出る質問で、ほぼ必ず教室の中で身体の発育が一番遅い、体つきの幼い生徒が発する。
私は常に、以下のように答える。
「戦争は殺しに行くんじゃなくて、殺されに行くんだ。兵隊は殺しに行くんじゃなくて、殺されに行くんだ。兵士ってのは、『こいつらは殺されても文句言いません』と国が互いに決めた人間なんだ。戦場では殺す人数より、殺される人数のほうが多い。戦争の話になると、みな、『殺す』ことばかり考えるものだが、考えが浅すぎる。戦争とは、『殺されに行く』ことだし、戦争では君らは『殺す』側になる可能性より、『殺される』可能性のほうが、ずっと大きい」

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