「越境将軍」
元イラク先遣隊長の参議院議員佐藤正久(こいつ、参議院議員になったんか…(;´Д`))の発言をざっと斜め読みして、「越境将軍」林銑十郎を連想した。
佐藤正久発言関係http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070813/1186989406 http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10046082059.html http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070905dde012040002000c.html http://blog.goo.ne.jp/okunagairi_2007/e/53ed377072fa8efe67ac2aaaa01b6044 http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1978
「越境将軍」に関して以下記す。
満州事変の勃発にさいし、朝鮮軍〔日本軍の在朝鮮部隊〕が天皇の命令なしに国境を越えて、満州に独断出兵した事実は、明白な大命干犯であった。この事後処理をどうするかが、〔略〕戦争を始めるか否かの決定的な分岐点となるはずであったのである。(63p)
兵力の国外出動(朝鮮は日本の領土であるから国内、満州は中国の一部であるから国外)は、閣議における必要経費の支出の承認と、その結果を待っての奉勅命令の伝宣によるという慣例があった。奉勅命令なしに、朝鮮軍司令官が独断で出兵に踏み切ったことは、大命干犯の虞れのある重大な出来事であった。(64p)
天皇側近の重臣たちの話し合いは、原田〔原田熊雄。西園寺の政治秘書〕が「御裁可なしに軍隊を動かしたりするのは一種のクーデター」だとして、ことの重大性を強調したが、結論としては首相〔若槻礼次郎〕が「他力本願なるは面白からず」との木戸〔木戸幸一。内大臣〕の意見で、内閣にまかせるということになった。結局天皇が軍部の大命干犯をとがめるという最初の機会を見送ったのである。(68p)
このときこそが軍の独走を抑え、戦争突入を抑えるチャンスであった。大命を無視した独断越境を咎めることで、それが可能だったのである。しかし〔略〕天皇は独断出兵を追認するという、きわめて宥和的な態度をとり、陸軍を抑制するチャンスを逸してしまったのである。(73p)
- 作者: 藤原彰
- 出版社/メーカー: 青木書店
- 発売日: 2003/01
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
満州事変は陸軍、とくに石原莞爾を中心とするクーデターであり、朝鮮軍の越境は、石原莞爾・板垣征四郎の計画通りに林銑十郎が動いた、クーデターの一環だった。それを法に照らして処置することを怠ったため、この前後、三月事件・十月事件という国内クーデター未遂事件が頻発する。この三月事件十月事件という国内クーデター未遂事件の首謀者・橋本欣五郎をも法に照らした適切な処罰をしなかったため、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件などの右翼・軍部によるテロ事件、クーデター事件が連鎖し、日本は国家としての背骨を失い、亡国の道を走るに至った。
佐藤正久の発言は「俺達はクーデターをするぞ、自衛隊はクーデターをしろ、武力集団は法を逸脱して国家を強引しろ、76年前と同じように」と述べているようだ。