カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

『ネットと愛国』読了

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『ネットと愛国』読了。刺激的。良書。
在特会」をきっちりと取材していることがまず凄い。取材者の安田浩一は、「在特会」の心情に沿おうとして努力している。そこが立派だ。
そこから浮かび上がる、「鬱憤晴らし」だけが目的である「在特会」の姿というのも凄い。
読んで諸々連想した。私と「在特会」は色々似ているから。ネットを「市民活動」のツールにしている(していた)ところとか。ネットというインフラの中から生まれたのが表現規制反対運動と「在特会」だ。だからファシズムボルシェヴィキズムが姉妹な程度に私と「在特会」は兄弟だ。
在特会」関係者が「ネットDE真実」に目覚めたのは2000年以降が多いようだ。意外と遅いな、と思った。プチナショナリズムが懸念されたのはそれより5年くらい前だ。ネオリベラリズム的「空気」というかそういうのを吸って誕生したものだろうな、とか思う。
在特会」が彼ら自身のことを「市民運動」と名乗っているのが、保守系・右翼系としてはそれまでの作法からの逸脱だよなあ、と思う。「右翼活動」には嫌悪感をむしろ「在特会」は持っていて、「市民活動」を「在特会」は自認している。これは驚きで、皮肉なことだ。「市民」というのは、在特会的価値観からすると「サヨク」用語ではないの? と私は思っていた。右派思想ならそこは「国民運動」だろ。あるいは「臣民運動」。「大衆運動」でも可。
在特会」に「思想」がほぼ皆無であることは、この本には丁寧に活写されている。
在特会」以前に保守系で「市民運動」を名乗っていたところは…「つくる会」とかがそうか。あの辺で従来の保守・右翼とは一つ大きな断絶があるのか。「在特会」の「嫌韓」言説は、ほんの僅かな歴史的めぐり合わせで「反シミン」言説になっていたはず。「在特会」は思想を欠いて、自らの怯えている感情を断片情報で繋ぎ合わせて正当化しようとして、その裏返しで汚い言葉を使っているそういう人々だから、「市民」という言葉の歴史的文脈を知らない。
彼らは社会階層的に低くわりと貧しく知的資源も乏しい。「在特会」は、「自分を認めてくれ」と叫んでいる。だが言葉が貧弱で自分自身を見つめないから、嫌韓言説になる。ある種の日本人の典型だ。彼らは「セカイ系市民運動」をしている。「在日」というキーワードは彼らにとって「世界の果」を意味している。彼らは「社会」を欠いている。彼らにとって「在特会」という集団内が「家族」なのだ。
彼らは「在日の人々に与えられている以上の社会保障を自分たちにくれ」と本当は叫んでいるのだが、自分がそう叫んでいることに生涯気づかないし、そう指摘されることを全力で否定するだろう。肉屋を支持する豚の集団だから。*1
彼らの知的資源は乏しいので、アニメとネットが彼らの知的資源(の代用品)となっている。ネット右翼とオタクの層がかぶったり、ネット右翼言説がオタク用語と重なるのはそのためだ。*2
彼らがある程度のボリュームに育ってしまったのは、自分も含めて、「左派」運動が、ネット弱者を捕り入れなかった・救済しなかったことにある程度責任がある。*3
などと思った。
刺激的な本なので他にも色々思ったが、取り急ぎ以上書きおく。

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

我が読書メーター http://book.akahoshitakuya.com/u/189766

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「市民」について

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051211/1134246352
 『市民 citizen』『臣民 subject 』『国民 national 』という三つの概念はしばしば混同されるため、多くの人が同じ意味だと思っている。しかし、『市民』には、たまたま生まれ合わせた国の名を表示し、外国に行くときパスポートに記される『国籍 nationality 』と同根の『国民』という言葉より、もっと深い意味がある。また、『市民』には、政府や君主に服従する『臣民 subject 』とは、まるでちがった意味がある。

 市民とは政治的な主体だ。市民とは身のまわりの世界がどう組織されているかに自分たちの生活がかかっている、と、折にふれ、みずからに言いきかせる人間だ。」

 「市民はつねに、社会における自分たちの運命について、もっと理解を深めようと努める。市民は、ときに不正に対して憤り、自分でなんとかしたいと思い立って、社会問題にみずから深く関わっていく。消極性は市民の立場 citizenship の死を意味するのだ。」(17-18p)
K・V・ウォルフレン『日本の知識人へ』

日本の知識人へ

日本の知識人へ

wikipedia:市民
市民(しみん)は、政治的共同体の構成員で、主権(主に参政権)を持つ者。あるいは、構成員全員が主権者であることが前提となっている議論では、構成員を主権者として見たもの(現代社会について述べるときはこの意味合いのことが多い)。ここでいう政治的共同体とは、語源的には都市を指しているが(citizenとcityは同語源である)、現代では国家についていうことが多い。
市民に似た概念として国民があるが、両者の違いは、「市民」がその理想とするところの社会、共同体の政治的主体としての構成員を表すのに対して、「国民」はその「国家」の国籍を保持する構成員を表すという点にある。市民と国民は相互に置き換え可能な場合も多いが、そうでない場合もある。たとえば、絶対王制国家の場合、国民は全て臣民であり、市民ではない。

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“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

*1:その後ちょっと思い直した。より正確には「肉屋だと思い込んでいる豚の集団」「肉屋だと思い込みたがっている豚の集団」

*2:http://g2.kodansha.co.jp/4291/4623/6450/6451.html を参照されたし

*3:これは安田浩一氏の本書の結論でもある。