カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

娘が生まれた

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20121211/1355228956 の続き。

1

朝起きると、眼鏡がないことに気付いた。どこかに置き忘れたようだ。私は軽度の乱視で、眼鏡がなくてもまあ見える。
父母の住む店舗で朝食をとる。我が老母から病院へ行く前に墓参りしておけと言われる。墓参りする。
眼鏡は昨夜夕食をとったサイゼリアに忘れたのかな、午前10時以降ではないと開店していないだろうな、と思い、嫁のいる病院へ向かう。

2

嫁は昨夜よく眠れたようだ。
午前10時にいったん病院を抜け、サイゼリアへ車で向かう。サイゼリアは午前11時から開店だった。待とうかとも思ったが、眼鏡がなくてもどうにかなるので、夜取りに行くことにしよう。病院へ戻る。
明日、予定では私は人間ドックに入るはずだったが、延期する電話をした。
昼前に、弁当を買っておく。
昼に、嫁の母がいらっしゃる。嫁の母は普段は働きに行っていらっしゃるが、本日は休みを取ったそうだ。嫁の付添は親族一人だけと病院のルールで決まっているので、嫁の母と付き添いを交代する。
20分しないうちに嫁の母が戻ってくる。再び私が付き添いをする。
嫁の母がおにぎりを持ってきてくれていた。私が2個、嫁が1個食べる。後で気づいたが、この日、嫁に昼食は出なかった。夕食も出なかった。
本日は出産が昨日より多く、午後2時くらいまでに数件出産が行なわれた。我が嫁は一番先に陣痛室に来て、後から来る人が次々分娩室へ行き出産していく。
午後3時くらいまでは昨日と同じペースで、陣痛を繰り返した。
陣痛に対し、付き添いは、腰部を押さえ、肛門部を押さえる作業をしてやる。肛門部はテニスボールを使って押さえる。
午後4時くらいに、陣痛が苦しすぎるということで、薬の種類を変える。
陣痛の間隔が広くなる。
陣痛室に、新たな妊婦が来る。こいつがうるさくて頭が悪そうで幼稚な声で甘えた悲鳴を出して、実に神経に触る。付き添いの男も頭が悪そうな声で、これも神経に触る。
看護士が嫁に更に何か薬を点滴で投与してわりとすぐに、嫁が、腹の上部の痛みを訴えた。今までの痛みとは違う痛みだ。
それまで医師は女医だったがこの日の夜番は男性医で、その男性医が来る。なんかあわてた感じで説明していた。どうやら、臍の緒が絡まった可能性があり、そのままだと帝王切開をすることになるかもしれない、という意味の説明だったようだ。
嫁の腹の中の娘に「臍の緒が絡まっているから、まずそれを外しなさい」と私は言う。
その後もしばらく嫁は腹の痛みを訴える。
どうも間が悪く、例の頭の悪そうな甘えた悲鳴をしていた女の分娩と時間がかぶる。
女性看護士が一人いらっしゃり、嫁の腰に刺激を与える。
再び医師が来て、胎児があまり降りていないから、8時頃までこの様子だと、帝王切開をする、といった旨の説明をする。
説明がよく聞き取れなかったので、聞きとれなかった部分は全部聞き返し、投与した薬の内容についても一通り全部質問した。
ところで、帝王切開だと二人目三人目の出産に対してリスクが発生すると聞いていたので、帝王切開は避けたいと思った。
その後、嫁がいきみだす。4時以降、子供がいまいち下がっていない・産道にうまく到達していないので、いきんでよいという許可が出ていた。のもあって、いきみだした。
しばらくして、明らかに子供が下がったのを嫁が感じ、医者を呼んでほしい、と私に告げた。
医者を呼んだ。
産道からの出産ができると医者が判断し、分娩室へ移動になった。
陣痛室を出るドアを開けたところで、突然、ゴトン、と床の上に何かが落ちた。胎児だ。何が起きたのか一瞬わからなかったが、我が子が生まれた。
その場で看護士が胎盤を胎児から剥がし、臍の緒を切った。赤ん坊はちゃんと泣いた。午後8時の少し前だ。
嫁は後産のため分娩室へ行った。我が子は看護士が抱き、鼻と口にチューブを入れ、羊水を吸いだした。体重を量った。2570gだった。
ところで、そこには我が娘の直前に生まれた、例の甘えた悲鳴の人の新生児がいて、そいつは体が大きく、そしてぎゃあぎゃあ泣き騒いでいた。
我が子は新生児だというのに全然泣かない。私も泣かない赤ん坊だったというが、我が娘もそのようだ。
その後、嫁のもとへ我が子を連れて行き、写真をとり、乳を吸わせるなどする。
嫁の母が別室で待っていたので、出産の報告をして、対面してもらう。
私の父母にも電話するが、もう就寝しているらしくて電話に出ない。
私はその後、帰宅した。妹たちにメールで出産の報告をした。

3

いったんサイゼリアに寄り、眼鏡の忘れ物が届いていないか訊ねた。届いていないそうだ。
昨夜は帰宅途中で、牡鹿が道に立っていて、危うく交通事故になりそうだった。
今夜は道の脇に、轢かれたばかりの小動物がいた。

4

我が娘は、2012年12月12日20時頃生まれた。名前はまだない。

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