カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

始皇帝の夫人たちと、劉邦についてのおもいつき

今、藤田勝久『項羽と劉邦の時代』を再読している。kindleで。
32%位置No.1156に以下記述があった。

史記』には、なぜか始皇帝の夫人について、まったく記されていない。しかし始皇帝までの秦王の婚姻をみれば、すでに昭王と孝文王が楚から夫人を迎えており、趙に人質であった荘襄王(子楚)が、趙姫を夫人としていた。

筆者は、始皇帝の長子扶蘇は楚の王室につながり、末子で二世皇帝となる胡亥は戦国趙の王室につながるんじゃないかと推測している。
ところで以下はカマヤンのおもいつきなんだが、始皇帝の夫人について『史記』で記されなかったのは漢王朝でのタブーに触れていて、たとえば劉邦呂后がともに扶蘇の母親である楚の王室の付き人の家系だったとかそんなことがあったんじゃないかなとか想像するんだけど、だから劉邦は若かりし頃ヤクザみたいな生活していて亭長という役職にやっとこさ就いたのに豪族である呂氏から夫人を娶り、県の役人である蕭何から目をかけられていた理由じゃないかなとか想像するんだけど、同時に漢王朝時代に始皇帝の夫人について語られなくなった理由じゃないかと想像するんだけど、以上思い付きを忘れてしまうのはもったいないと思い記す。

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『沈黙』に寄せて、96年遠藤周作追悼文

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遠藤周作が亡くなった頃になんか書いたな、と思い、webアーカイブを探していたら以下出てきたのでここに残す。

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追悼遠藤周作
(以下は、パソコン通信「NANAYAツインシテイツマンション」に発表したものです)
96-10-03 Thu 21:24
   レポート ;遠藤周作のイエス像(遠藤周作逝去によせて)
 私はまともな文学に殆ど触れていない文学音痴ですが、遠藤周作作品は愛読書もありますので、追悼の意を含めて、駄文を綴ります。
 「現代」の不幸は、人々が、信ずるべき拠り所を失っているところにある。…私はこのように考える。現代を生きる私たちにとって、信じることができるものは、あまりに少ない。しかしながら人にはその信ずるべき拠り所が必要なのである。世界の中で、背中を預けるものなく、寒風にさらされることは、人には耐え難いのだ。いわゆる「現実世界」という代物は、見ることはできても、知ることはできても、信じるに値するリアリティを持っているようには思えない。説得力がないのだ。頬に風を感じない。肌に体温を感じない。そして自分がここにいていいのかわからない。自分の心は人に伝わらない。そのことは耐えられないのだ。人は弱いのだ。徹底して弱いのだ。心はいつも貧しいのだ。それを必要とするが故に、人は「本当に信じられるもの」の代替品を誤って選びとる。ある人にとってはそれがオウムであった。或いは別なカルト宗教だった。或いはそれは陰謀論という世界の見方であった。或いは何かの政治運動だった。或いは現実を打開する「指導力」をもつカリスマであった。現実世界の救世主だった。
 しかし、遠藤周作がたどりついたキリスト像・イエス像は、「現実世界において全くの無力な人間」であった。彼のイエスは、何一つとして「奇跡」を起こすことはできない。超能力など何もない。彼は非力な人間にすぎない。
 『キリストの誕生』のなかで、遠藤周作はイエスをこう言う。

 …イエスは同時代の全ての人間の誤解にとりかこまれて生きねばならなかった。短い生涯の間、民衆も敵対者も、弟子達さえも彼を全く理解していなかった。味方である者も勝手な夢と希望とをイエスに託そうとした。イエスは自分の意志とは根本的に違った大衆の期待の中で孤独だった。庶民たちは彼に愛よりは現実的な効果を求め、大衆は彼をローマに蹂躙されたユダヤを再び「神の国」に戻す地上的な救世主だと守り立てようとした。こうした身勝手な期待と興奮は一時はガリラヤの春と呼ばれる熱狂的な人気を生んだが、やがてイエス自身に大衆の考えるような地上的救世主の意志がないことを知ったとき、彼らは反転してイエスから去って行った。大衆の目には無力な存在としてしか彼は映らなかった。弟子達ですら彼を見捨てたのは、彼が自分達の夢に値しない、何もできぬ師として映ったからである。だが聖書の深い問題はそこから始まる。無力だったこのイエスが何故その死後、神の子と見なされたのか。彼が十字架にかけられた時、見捨てて逃亡したあの弟子達がその後何故、命をかけてイエスの教えを広めようとしたのか。イエスは何故無力なるイエスから栄光あるキリストに変わったのか。弱虫だった弟子は何故、強い信念と信仰の持ち主になったのか。(『キリストの誕生』より)

 イエスは、出会った人々の心に深い影を残した。彼がなし得た奇跡はそれだけだった。遠藤周作は、『イエスの生涯』で、さらにこう述べる。

 …イエスがこれら不幸な人々に見つけた最大の不幸は彼らを愛する者がいないという事だった。彼らの不幸の中核には愛してもらえぬ惨めな孤独観と絶望とがいつもどす黒く巣くっていた。必要なのは「愛」なのであって、病気を治す「奇跡」ではなかった。人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。自分の悲しみや苦しみをわかちあい、共に涙を流してくれる母のような同伴者を必要としている。(『イエスの生涯』より)

 永遠に人間の同伴者となるため、愛の存在証明をするためにイエスは最も惨めな形で死なねばならなかった。人間の味わう全ての悲しみと苦しみを味わわねばならなかった。そうでなければ、彼は人間の悲しみや苦しみを分かち合うことができぬからである。
 「アガペー」(愛)という言葉は「共に」ということを意味する。共に喜び、共に泣く。遠藤周作のなかでイエス像は、「永遠の同伴者」として、母親的なものとして結晶していき、それがために従来のカトリックからは非難すら受けた。しかし彼の説くイエス像は、日本人の心にしっとりと染み込む慈愛に満ちている。
 確かサルトルだったか。「飢えた子供の前で文学は何が出来るか」という命題を立てたのは。遠藤周作作品は、それに一つの回答を与えている。飢えた子供の前には、美味しい食べ物の他は、全くの無力だ。だが、人は、食べ物を持っていないときでも、その子供の手を握り、背中を撫でてやることはできる。そしてそれは無駄ではない。
 余談ながら、私の祖母は非常に病弱で生前幾たびも生死の境にいたことがあった。そして祖母は、こう言ったことがある。
「病気で本当に苦しいときに欲しいものは、誰かが手を握ってくれていることだ。それがあるだけで、どれだけ安心することか」
 遠藤周作のイエス像は、大事な示唆を与えているように思う。人が人に出来ることは、苦しいとき、手を握ってやる事だけなのだ。イエスですらそうだったのだ。そしてそれが最も大事な事なのではないかな。と。 
誰かさん記す

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我が嫁の箴言

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既婚女性は、旦那か、舅姑か、小姑に苦労する。
いかに苦労しているかが、既婚女性間のコミュニケーションツールであり、いかに苦労しているかが勲章である。
まれに三重苦がある。

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上記存在に対して嫁は従属するべきもの、という社会圧力があるため、既婚女性はきつい思いを強いられる。

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我が家の場合、我が老母がかかあ天下の道を開いたので、旦那への苦労は比較的少ないようだ。
だがその表裏で、姑による苦労はひどい。俺が我が老母が死ねばいいのに感じるより少し柔らかい程度に。

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目標の喪失、「憧れ」の不在

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kindle購入し直した。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20161229/1483021780 そういうことが可能な俺は運が良い。
ふと気づくと結構な量の本を読んでいるが、全然身についていない。目標ないまま漫然と書痴趣味していても得るところがないのだなあ、とか思う。
これは書痴趣味だけのことではなく、目標ないまま余生を生きても全然充実感なく不満ばかり募るのだなあ、とかそんなこと感じたり。
もっと若かりし頃常に思っていた「いつかマンガに描こう」という漠然たる意識はそれなりにこの漫然に対し一定の方向付けがあったのだなあとか思ったり。そのこと自体忸怩たる感情が拭えなくてどうにも。

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俺は幼少期から20歳代に至るまで「憧れの感情」を抱く対象がなかった。これがつらかった。
ロールモデルの不在という言い方が最も近いが、どういう方向に自分自身を育てればいいか、その手本が全然なかった。
俺の幼少期は酷いものだった。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20170107/1483796973 
小中学校時代の自分へのメッセージと大学生時代の自分へのメッセージと - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記
酷い環境で無駄に頭の回転が速くて、回転する脳を無駄に持て余した。空回転する脳は、「ここではないどこか」での生活を無駄に希求した。夢想するための材料の貧弱さに我ながら泣けた。その貧弱さを嘆くことで俺の4歳から15歳までの季節は全て費やされた。自己憐憫だけが習い性となった。何かもっとマシな何かがありえたと思うが、貧困とはこういうことだ。

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