国家三原則(なんちゃって街宣活動「改憲論」)
■[メモ]国家という公共財は「重要」だが、公共財を「愛する」のは変態行為である http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060704#1151954241 で引用した内藤朝雄さんの記述から、以前書いた原稿を連想したので、以下再掲しておく。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1080423404/6-8
なんちゃって街宣活動 改憲論 (2004年3月号)
「国家」は人工物で、法により成立します。近代国家と株式会社はよく似てます。
…株主=国民、株=投票権、株主総会=議会、取締役=内閣、総会屋=暴力団…
アシモフの「ロボット三原則」は、第一原則・ロボットは人へ危害を加えない。人への危機をロボットは看過しない。
第二原則・第一原則に反しない限り、ロボットは人の命令に従う。
第三原則・第一第二原則に反しない限り、ロボットは自らを守る。これは工業製品の「安全性」「利便性」「耐久性」を示しています。
同様に「人工物」である「国家」にコレをあてはめると、国家第一原則・国家は市民へ危害を加えない。(安全性)
国家第二原則・国家は市民の決定に従う。(利便性)
国家第三原則・国家は国家自体を守る。(耐久性)日本製「国家」は「耐久性」重視のあまり、「安全性」に難があります。官僚機構にとって「利便」であり、「安全性」に難があります。十五年戦争は官僚暴走(法逸脱)を市民統制できなかったことがはじまりです〔一〕。
刑法の多くは現憲法を根拠にしてないそうな。行政法・政令・規則によって省庁行政権は《暴走》してます。
…日本の法体系は世界でも珍しい構造。
憲法→内閣法→行政組織法→省庁設置法→行政法→政令→規則
憲法七章(八三条〜九一条)の「財政法治主義」は慢性的違憲状態です〔二〕。
《憲法》を国家に守らせるには、権力や官庁をチェックするための実効装置が必要です。でなければ念仏です。「国家三原則」を叩き台に、《左》からの論憲と現状整理がほしいなあと思います。法治国家としてグダグダな現状を共通地平にする必要があると思います。
法治国家としての人権保障の実態をまずは争点化するべきかなと思います〔三〕。
現在日本の軍事費は世界二位だと聞きます〔四〕。念仏としての「九条護持」より、「なぜ憲法が機能不全なのか?」を争点化させるべきだと思います〔五〕。注釈
〔一〕軍部官僚も官僚であり、張作霖爆殺も満州事変も明治憲法違反だった。憲法違反行為を追認したことで、戦前の法治国家体制は崩壊した。
〔二〕
第83条;国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
第84条;あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。
第85条;国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
第86条;内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
第87条;①予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。②すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を経なければならない。
第90条;支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。②会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。
第91条;閣は、国会及び国民に対し、定期に、少なくとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。
五十嵐敬喜『市民の憲法』(早川書房、2002年)142-145p。一般会計の六倍の「特別会計」が国会審議を経ず、行政により運用されている。また、以下の指摘もある。
「最高法のなかで破られているのは、第9条だけにとどまらない。一般の認識よりもっと大がかりに、しかも徹底的に破られている。15条〔公務員の罷免権〕、20条〔政教分離〕、38条〔不利益供述の不強要〕、41条〔国会の地位〕、65条〔行政権〕、76条〔裁判官の独立〕、98条〔憲法の最高法規性〕の各条はふだんは完全に無視されている」K・V・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994年)104p。
〔三〕ウォルフレン前掲書「日本の経済戦略家たちの頭に生活条件の改善という考えがないことはすぐわかる」「日本の経済戦略は国家の安全を考えていたのだ」
国家三原則の第三原則を優先し第一原則を無視している、という点を明晰化させる必要がある。
〔四〕在日米軍施設の人件費・土地代などが大きい。9条と在日米軍は歴史的にセットの問題。
〔五〕9条問題は左側から議論を深めないと、議論形態が「国体護持」「国体明徴」論に相似化する恐れがある。
『噂の真相1月別冊 日本のタブー』(噂の真相、2004年1月)153-202pなどによれば、現在の司法は、戦前の平沼騏一郎時代に退化しているようだ。
改憲論の過程で何が隠蔽されるかに感度を尖らせる必要がある。9条のみに注視するのは、その意味危険だ。